【石垣】名護親方で知られる程順則の資料を収集している名護博物館(比嘉久館長)は5日までに、石垣市伊原間のサビチ鍾乳洞で、約50年前から所在が不明だった程順則の義母と実母の厨子(ずし)(骨つぼ)を確認し、所有者から寄贈されることになった。厨子には当時の墓作りのことが記されており、比嘉館長は「とても貴重。現物が保存できることは意義深い」と語った。寄贈に伴う運搬作業が同日、行われた。
義母の厨子には程順則が義母と相談して左右2基からなる墓を作り、「世親墓(ゆーうやばか)」と名付けたことや義母の経歴が刻まれている。
確認調査した県立博物館・美術館の前館長、安里進県立芸大付属研究所客員研究員は「当時(17世紀末)、妻は実家の墓に葬るのが一般的だったが、程順則は妻だけでなく義母も程家の墓に葬り、厨子に経歴を刻んだ。亡き妻とその母へ深く配慮していたことが分かる。当時ではかなり斬新的だったと考えられ、程順則の人柄を示す新たな情報だ」と評価した。
関係者によると、二つの厨子は1960年以降に那覇市の墓から盗まれ消失したが、その後、工芸品を収集していた染織家によって石垣市に持ち込まれ、染織家が75年に設立した工芸館で保管されていた。所在は県が84年の調査で確認し厨子に刻まれた文字を拓本して資料を残したが、92年にサビチ鍾乳洞に運ばれ、これまで展示されてきた。
今回、安里客員研究員らが確認調査し、本物と判明。事情を知った現所有者で石垣ケーブルテレビの保田伸幸社長が名護博物館への寄贈を決めた。
名護博物館は28日から館内で、寄贈を記念し展示会を開催する。
程順則は1663年に那覇の旧久米村に誕生。66歳で名護間切の総地頭を務めた。全国の庶民の教科書として広がった「六諭衍義(りくゆえんぎ)」を中国から持ち帰った業績などを残した。