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差別の大衆化に警鐘 安田浩一さん(ジャーナリスト) 〈ゆくい語り・沖縄へのメッセージ〉16


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
安田浩一さん

 ヘイトスピーチや差別の問題を長年取材しているジャーナリストの安田浩一さん(54)は、沖縄に向けられる差別やヘイトについても取材を続け、発信している。沖縄ヘイトが生まれる背景について「『朝鮮人死ね』と言っているやつと、沖縄非国民と言っているやつは同じ。権利を主張する人が憎悪される社会になっている」と指摘し、差別が「大衆化」している現状に警鐘を鳴らした。

 自身を「雑誌屋」と呼び、ストレートニュースを追う新聞記者とは違い、そのニュースの背景を探るのが本分だと強調する。その意味で、本紙が昨年9月の県知事選で始めて、現在も続けているファクトチェック(事実検証)報道を「本来は雑誌の役割だと思っている。琉球新報のファクトチェックを見ていて軽い嫉妬があった」と話した。

 多くの記者やライターが「沖縄」を題材に記事や本を書く中にあって、「差別を経験している人のために、その記事は役立っているのか」と自身に問い掛け、取材を続けている。

「沖縄問題」と言わない信念、活字に

―週刊誌記者としてスタートした。

 「特ダネとは無縁の記者だった。新聞が正規軍なら雑誌はゲリラ。主力にはならないが、その一刺しは時に大きな力を持つ者にダメージを与えることができる。社会を監視する上で、絶対必要という思いがある」

週刊宝石の記者時代、南アフリカで取材中の安田浩一さん(右)。隣は俳優のサミュエル・L・ジャクソン氏(1996年)

―沖縄に関しても、沖縄2紙への攻撃や沖縄ヘイトともいうべき動きを取材し続けている。

 「沖縄を巡る報道になぜ僕がむきになるかというと、もちろん沖縄への物言いに憤りもあるが、同時に同業者への憤りでもある。満足に取材せず、ネット上の文言でただおとしめることだけを目的に沖縄という地域を報じているメディアが多すぎる」

―何がきっかけで沖縄を意識しだしたのか。

 「一つは1995年の米兵による少女暴行事件。何か行かなきゃと県民大会に出た。98年の大田昌秀さんと稲嶺恵一さんの選挙の取材もあった」

―私はちょうどその年に入社した。初の知事選取材で何も分からない中で打ち上げ式を取材した。

 「印象に残っているのは電信柱の『県政不況』というビラ。大田県政批判もあっただろうが、沖縄ならではの不況の内実とは何なのかを考えた。95年の県民大会、98年の県知事選を通して、沖縄というものがなんとなく僕の中で見えてきた。沖縄だけの現象ではなく、県外の僕らが考えなきゃいけないことがあると意識するようになった」

―私は大阪生まれで琉球新報に入社した。県外出身者が沖縄の新聞で記事を書くとはどういうことなのかと考える。沖縄戦を体験した親戚がいるわけでもない。沖縄在住でない人が沖縄を書くことを安田さんはどう消化しているか。

 「僕なんか未整理だ。『基地と沖縄』の問題は大事なテーマで僕もきちんと咀嚼(そしゃく)したいが、そうすることで自分が何か安全圏に立ってしまうのではと思うことがある。今現実にひりひりするような差別を経験している人のために、その記事が役立っているのか。『沖縄問題』という言い方だけはしないようにしたい。日本の社会が沖縄の基地問題を生み出したという視点できちんと向き合わないといけない」

―ヘイトスピーチや在特会の取材も続けてきた。

 「石原慎太郎都知事の『三国人』発言があって、抗議の中にいた辛淑玉さんに『死ね』などのファックスが延々と流されてきた。そこから日本社会におけるマイノリティーに対する憎悪を意識するようになった」

 「宇都宮市で実習生の中国人が職場から逃げ出し、職務質問されてもみ合いになり射殺されたことがあった。その裁判で、OLやベビーカーを押した女性など“普通の人”が『シナ人を射殺せよ』と声を上げていた。差別をあおり、人の死を願うストレートな文言にものすごいショックを受けた。結果的にその人たちが在特会に合流していく。2008年のリーマンショックでまっ先に首を切られたのが外国人。浜松市ではブラジル人と素朴に国際交流にいそしむ“普通の人”が、突然外国人を治安の対象と見る。そういうことがこの社会にあるということが非常にショックだった」

 「差別は一部の人間のものだけでなくて、大衆化してきた。もはや僕にとってネタじゃない。生きる上でこれがあっては困ると思うようになった。だからそういう視点できちんと記事を書いていこうと思った」

インタビューを受ける安田浩一さん=東京都内の琉球新報社東京支社

―なぜ「普通の人」がヘイト化するようになったのか。

 「そもそも“特殊な人々”に限ったものではないと思う。関東大震災直後でも朝鮮人や、避難民の沖縄県人を虐殺したのは自警団に属する“普通の人々”だった。普通だからこそ、時にデマにあおられ蛮行に走るのではないか。今世紀に入ってから“普通の人々”のヘイト化がさらに進行したのはやはりネットの影響が大きいだろう。匿名性の高いネット言論では過激化しやすい傾向がある」

―オスプレイ配備反対の建白書で沖縄の首長たちが東京・銀座をデモした東京行動では沖縄ヘイトが浴びせられた。

 「『朝鮮人死ね』と言っている人と沖縄非国民と言ってる人は同じ。建白書の東京行動は忘れられない。後に翁長雄志知事が都民を批判した気持ちを僕も持った。非国民、売国奴と訴える人間と、何事もなかったように流れる銀座の時間が許せなかった。それは今も続いている。県知事選がこれだけ大きなニュースになってもやっぱりひとごとだ」

―デマをただす形のファクトチェック報道も一つの形だと思った。

 「琉球新報のファクトチェックを見て軽い嫉妬があった。本来は雑誌屋がやる方が痛快だと思っている。雑誌も新聞も衰退の一途だが、部数減と必要性がなくなった、はイコールではない。報道の役割はなくなっていないし、多くの情報が飛び交う中で、経験と頭数をそろえたプロ集団はますます必要だ」

―そんな中、われわれメディアはどう進むか。

 「僕自身はなるべく楽観的に行きたい。ネットに情報があふれる中で、最後に勝つのは揺るがないで報じてきた側だろう。『琉球新報が書いてるから間違いない』というくらいの認識があればいい。逆に記者が自信をなくすのが怖い。自信を持つには取材しかない。そうすれば『僕たち取材してますから』と自信を持って言えるから」

聞き手 東京報道部長・滝本匠

やすだ・こういち

 1964年生まれ。静岡県出身。「週刊宝石」や「サンデー毎日」の週刊誌で記者として取材・執筆、2001年からフリーの記者として活躍。ヘイトスピーチなど差別問題や労働問題などをテーマに執筆活動を続けている。12年「ネットと愛国 在特会の『闇』を追いかけて」で第34回講談社ノンフィクション賞、15年は「ルポ外国人『隷属』労働者」で第46回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。沖縄関連でも「沖縄の新聞は本当に『偏向』しているのか」の著書がある。

取材を終えて 出身地超えたい

東京報道部長・滝本匠

 こちらの不見識や無定見ぶりを見透かされているようで緊張するインタビューだった。仕事内容から取材対象に厳しく執拗(しつよう)に迫るであろう姿勢を予想していた。だが、お会いして直接話を聞いて印象に残ったのは、その対象に自分事として関わろうとする雑誌屋・安田さんの真摯(しんし)さだ。それが仕事の説得力にもつながるのだと感じた。

 最近、県外出身者として、沖縄の新聞に記事を書くことの立ち位置を問われる機会が相次いだ。沖縄の戦後史をテーマに青春群像を描いた「宝島」で直木賞を受賞した作家の真藤順丈さんも、県外出身者として沖縄を描くことに葛藤していたと聞いた。そんなこともあって、安田さんの中ではどう折り合いがついているのか聞きたかった。

 開口一番「未整理ですよ」。それでも「差別を経験している人のためにその記事は役立っているのか」という観点が記事を書く上での覚悟となっていることがうかがえた。それは、私自身にも問われていることで、また宿題ができた。

(琉球新報 2019年2月4日掲載)