![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/legacy/uploads/img441ccc2209d8b.jpg)
宮城与徳生誕100年記念の催しが、ことし1月から2月にかけて名護市で開催され、与徳のめい・徳山敏子さんも参加したが、敏子さんはこのほど万感の思いでロサンゼルスへ帰ってきた。興奮も冷めやらないうちに、琉球大学名誉教授の比屋根照夫さんと同大法文学部教授・前門晃さんの訪問を受けた。
両教授はUCLAと国会図書館等で1930年代の「沖縄移民の研究」を終えたばかりだった。敏子さんは2人と友人たちをリトル東京のレストランに招待し、懇談した。
敏子さんによると、与徳がゾルゲ事件に連座したとして捕らえられ、獄死してから敏子さんらは苦渋を強いられたという。「二度と沖縄の土は踏まない」と決断、沖縄を脱出してメキシコに渡り、最後にロサンゼルスを安住の地と定めて58年になる。
比屋根さんの35年間に及ぶ「宮城与徳の研究」、野本一平さんの著書「青年画家の光と陰」、篠田正浩監督の映画「スパイ・ゾルゲ」など多くの人たちの努力により、一連の行動は「反戦であり、戦争で多くの人民を犠牲にしてはならない平和主義」という思想に基づいた活動であったことが明らかにされた。
ゾルゲを演じたイギリス人俳優のイアン・グレンさんはインタビューで「脚本を見て初めて分かったことだが、リヒルト・ゾルゲはドイツ人の父とロシア人の母との間でロシアで出生、ドイツで育ち哲学の博士号を獲得した。日本ドイツ大使館では絶大な信頼を得ていた。信念、理想のために自分を犠牲にした強固な意志の持ち主だが、私にはできないことである」と語っている。与徳も尾崎秀美もゾルゲの理念に同調したのだろう。
昨今の敏子さんの顔は輝いている。これを「世の中が自分のために動いているようで幸せだ」と表現した。夫の徳山盛村元沖縄県人会長(故人)も、草葉の陰で喜んでおられることだろう。
(当銘貞夫通信員)