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アルゼンチンから多くの県人子弟たちが市町村費研修生として、あるいは琉球大学、県立芸術大学、名桜大学の留学生として母県沖縄で世話になっている。研修生、留学生がその後、沖縄での経験をどう生かしているか取材した。
仲田ロベルト・善雄さん(65)は、沖縄で市町村費研修生を最初に始めた宜野座村の研修生だ。
ロベルトさんの父親は、ロベルトさんが7歳の時、子供7人(男3人、女4人)を残して亡くなった。母親は子供を育てるために、大変苦しい生活だったという。それでも親せきの助けを借り、何とか暮らしは成り立った。
長男のロベルトさんは、母親を助けなければならず、中学2年で学校を中退し、職に就いた。その後クリーニング店を経営、生活も落ち着いていった。結婚して子供もできたころ、宜野座村人会から母村での研修を勧められた。研修科目は電子関係だった。
沖縄にいるころ、一番印象に残っているのは、写真でしか見たことがないおじやおばたちと会うことができたこと。最初は言葉が全然分からなかったが、時がたつにつれて、電話でも話をすることができるようになったという。滞在中に日本の演歌や琉球民謡なども覚え、今もよく歌い、沖縄の思い出にふけっている。
宜野座村人会は、会運営をすべて研修生に任せてうまくいっているという。これを「研修制度のおかげ」と喜んでいる。
ロベルトさんは、現在クリーニング店を経営しながら宜野座村人会の指導者として頑張っている。最近長女に子供が生まれ、毎日を楽しく暮らしている。
(新垣善太郎通信員)