【キラリ大地で・活躍する県系人】 アメリカ/美容師 洋子・ハージングさん(64)


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米国で日本文化を紹介するボランティアを20年間続けている洋子・ハージングさん(右)

 各地の県人会を訪ねる楽しみの一つに、個性豊かな輝いている人たちに出会えることがある。そんな一人、インディアナ州在住の洋子・ハージングさん(64)=旧姓・名嘉原、那覇市出身=は、本職の美容師を天職としながら、その傍ら、地元でのボランティア活動をライフワークとし、幅広く活躍している。さらにインディアナ州沖縄県人会の初代会長として4年務め、インディアナ州周辺の県人のためなら一肌も二肌も脱ぐという頼もしい存在だ。
 洋子さんは独身時代、美容師になりたく、奈良県の美容学校に入学、卒業と同時に奈良市内の美容室で6年間修業を積んだ。講師になろうと、当時、日本の美容界では、トップクラスの山野美容学校の門をたたき、資格を取った。その後、東京、大阪で美容師としての腕を磨き、十分に実力を付けた洋子さんは、自分の店を持つために沖縄に戻った。運良く、ある経営者からの依頼で嘉手納基地近くの美容室を任せられた。
 仕事も軌道に乗ったころ、夫のリチャードさんと知り合い結婚。ミネソタ州出身のリチャードさんは、ニューヨークの放送学校を出て、嘉手納基地内のラジオ・テレビ局(現在のFEN沖縄)でアナウンサーとして働いていた。
 洋子さんは、リチャードさんの転勤地、米国、タイで生活した。その後、横田基地の東京FEN局長を務め上げて退職した夫のために、内助の功を発揮してきた。
 一男一女の育児のため、美容師から離れていた洋子さんは、子育てが一段落した時、基地内で米国人を相手に美容師として復帰した。
 夫が、米国本土の基地内のディフェンス・情報学校で教えることになりインディアナ州に移転。洋子さんは、インディアナ州の美容師免許を取得した。洋子さんの客は、白人、アジア人などと国際色豊か。日本的で、細やかなサービスは、評判で、大変に喜ばれている。「自分の半生は、美容師として働き、多くの人たちとのいい出会いがあった」と振り返る。
 還暦を過ぎたとは思えないほど、若々しい洋子さんは、20年間、日本文化交流クラブに属し、定期的に日本の文化、日本舞踊などを現地の学校や、各大学に行って、紹介している。
 これまでの世界のウチナーンチュ大会には、県人会代表として参加してきた洋子さん。「これからもウチナンチュとしての誇りを持って、文化交流、県人会のために頑張っていきたい」と語った。
 (鈴木多美子通信員)