【キラリ大地で・活躍する県系人】 アメリカ/ジュン・マックベイ・喜舎場さん(52)


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ジュン・マックベイ・喜舎場さん

 オハイオ県人会の初枝・バツコ会長から「オハイオ県人会に、逆境を乗り越えて明るくたくましく生きているすてきな沖縄女性がいる」と紹介されたのが、ジュン・マックベイ・喜舎場さん(52)=旧姓・喜舎場、宜野湾市出身。

 ジュンさんは、中部商業高校時代に得意だったタイプの腕を生かし、卒業後、マリン基地でキーパンチオペレーターとして働いていた。
 マリン兵だった夫と1975年に結婚し、アメリカに渡った。しかし、結婚生活はうまくいかず離婚。5歳の長男、2歳の二男を抱えて、母子家庭となった。
 経済的に自立せねばと子どもたちを保育園に預け、月―木曜は8時から2時までデータエントリーのパートタイムの職に就き、金―日曜日の週末3日間は、近くに住んでいる前夫にベビーシッターを頼み、1日12時間のフルタイムでコンピューター・オペレーターの仕事をした。1週間、1日の休みもなく働き詰めの5年間を送った。
 「仕事が大変な時でも子どもたちの笑顔が元気をくれた」と当時を思い出すジュンさん。
 世の中は、情報化社会になり、さらに高度なコンピューターの知識が必要となってきた。ジュンさんは、もっといろいろ勉強しなければ時代についていけないことを悟り、大学進学を決意する。コミュニティー・カレッジに通い、短大卒の資格を取り、コンピューター・プログラマーになった。
 さらにジュンさんの勉学への情熱はますます高まり、シンシナティ大学に進学し、インフォメーション・プロセスを専攻した。仕事終了後、大学に通い、仕事と勉強、そして子育てに家事をこなし13年かけてIT関連の課程を修了させ、無事大学卒業となった。
 現在、Convergysという世界60カ国に従業員6600人を抱えるIT関連の会社で、得意のコンピューター・インフォメーションの専門を生かし、各企業の従業員ケアのカスタマーサービスに携わっている。
 そして、生活も安定した10年前に再婚し、現夫とともに夏はダイビング、冬はスキーを楽しんでいる。長男は25歳になり自立、二男は大学生になった。
 ジュンさんは、「あっという間の30年間だった」と笑顔で語ってくれた。
(鈴木多美子通信員)