【キラリ大地で・活躍する県系人】アメリカ/上地健太郎(21)/日米で活躍するラッパー


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音楽への思いを語る上地健太郎さん=6月、ロサンゼルス近郊のスタジオシティー市

 これまで数多くのロックスターを輩出してきた沖縄で、まだ黎明(れいめい)期にあるといわれているのがヒップホップの世界。そんななか、生まれ育ったロサンゼルスではぐくんだグローバルなウチナーンチュ魂で、日米でラッパーとしてのキャリアを着実に積み始めているのが上地健太郎さん(21)だ。

 韻を踏みながら話し言葉に近い抑揚で歌う音楽、ラップに興味を持ち始めたのは12歳の時。高校在学中に友人とユニットを結成し、活動を開始。「早口」という通称をステージネームに、競争の激しいロサンゼルスのアンダーグラウンドの世界で場数を踏んでいった。
 高校を卒業し、プロとして本腰を入れようと決意したころ、沖縄にいる祖母が死去。15年ぶりに訪れた沖縄でゆったりとした時の流れに身を任せながら、初めてもう一つのふるさとにじっくりと触れた。音楽好きの同世代のいとこたちを通じ、ライブなどのイベントにラッパーとして参加する機会が増えるにつれ、「沖縄で過ごした日々をただの思い出として終わらせたくない」と昨年12月、自主制作レコード会社からアルバムを発売。全編英語で等身大の自分を率直に表現した詞と、本場育ちならではの独特のフロウが若者たちの心をつかんでいる。
 「沖縄ではロサンゼルス出身の女性ラッパーや南米出身のユニットと英語やスペイン語、ウチナーグチでコラボする機会もある。そういうバックグラウンドを持つ彼らとステージに立っていると、沖縄もロサンゼルスと同じグローバル都市なんだと感じる」。日本とアメリカでスタートを切り、順風満帆のようにみえる一方で、「家業を継ぐべきか、それとも自分の夢を追うべきか」という究極の選択にも直面している。父は、ロサンゼルスでスターシェフとして活躍する上地勝也氏。沖縄とアメリカで2つの夢を同時に実現させたいとも思うが、幼いころから父の苦労を見て育ってきただけに、現実の厳しさは十分すぎるほど承知している。
 アメリカから眺めた沖縄と沖縄から眺めるアメリカ。岐路に立つ自分を支えてくれるのは、絶対に夢はあきらめるなと教えてくれた父の言葉だった。「NO Music No Life。伝えたいものがあるから詞を書く。音楽があるから自分の人生がある。僕の旅はまだ始まったばかり。自分の心に耳を澄ませ、自分だけが持つメッセージを音楽を通して表現していきたい」
(平安名純代通信員)