【ブラジル】80周年夕食会盛大に 文化継承し、会の発展誓う


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ブラジル沖縄県人会創立80周年記念夕食会でケーキカットする歴代会長

 ブラジル沖縄県人会(与儀昭雄会長)の創立80周年記念夕食会が、8月25日午後7時半から、同県人会本部会館大ホールで催された。2008年の日本移民100周年に向けて各種記念行事の計画・準備が進められているため、80周年は記念行事を行わず、夕食会という形で約300人の関係者が出席して節目の年を祝った。

 亡くなった先人に黙とうをささげたあと、与儀会長(18代・2世)があいさつ。「県人会を支えてきた先輩方に感謝します。ウチナーンチュの心を大切に、沖縄の伝統文化や習慣を継承し、会を発展させていきたい」と述べた。次に12―17代の歴代会長が紹介され、13代の伊差川實氏が代表して乾杯の音頭を取った。
 上原幸啓日本文化協会会長、松尾浩日本都道府県人会連合会会長、神谷牛太郎サンパウロ市議が来賓として祝辞を述べた。また、在那覇ブラジル連邦共和国名誉領事で沖縄ブラジル協会会長の西原篤一氏も出席、祝辞を述べるとともに、県人会に記念品を贈った。
 1908年の第1回笠戸丸移民781人のうち325人が沖縄県人。26年に、サンパウロで県人会の前身である「球陽会」が初代会長翁長助成氏を中心に設立された。41年から53年までは、日本の第2次世界大戦への参戦にともないブラジル政府から会の活動停止を命じられた。しかし、47年には「沖縄救援委員会」を組織し、母県へ衣類や食料品、学用品などを送っている。53年に「在伯沖縄海外協会」の名称で活動を再開。78年に「ブラジル沖縄県人会」に改称された。
 現在、県人会は44支部(約3000家族)で構成されている。ブラジルの沖縄県系人口は15万人で、日系社会全体の約10%を占める。
 夕食会アトラクションでは、琉球舞踊、琉球民謡が披露された。また西原氏が、ブラジルのウチナーンチュの応援歌として自身が作詞・作曲した「ちばりよう島人」を熱唱し、会場を沸かせた。最後に、ブラジル沖縄県人移民100周年記念音頭「ふるさと沖縄音頭」(西原篤一作詞・作曲、琉舞協会振り付け)が披露され、記念夕食会を締めくくった。
(与那嶺恵子通信員)