尚育王の「書」発見 1838年、国宝級


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1838年に書かれたとみられる尚育王の漢詩(尚厚さん提供)

 書家としても知られる第18代琉球国王・尚育の直筆による漢詩の書が、このほど神奈川県鎌倉市で見つかった。尚育王の孫に当たる漢那(旧姓・尚)まさ子さんが継承し、その孫の肇さん(73)=鎌倉市=が保管していた。

肇さんから書を託され補修を進めている沖縄美ら島財団によると「これまでに国宝に指定された尚家の文化財と、同程度の価値があると思われる」という。
 書には尚育の署名と冊封使・林鴻年(りんこうねん)の雅号(勿邨)があり、林が沖縄に滞在した1838年、尚育が書の指導を受けていた林に宛てて書いたとみられる。
 漢詩は「紫禁仙輿詰旦來 青旗遙倚望春臺」(皇帝のみこし=紫禁の仙輿=は早朝に来る。青い旗がはるかかなたより近づくのが春台=高台=から望める)などとつづっている。
 末尾の署名部分には「勿邨大人 雅正 中山王 尚育」(勿邨大人=林鴻年=に本書の出来栄えについてご批判、ご叱正(しっせい)を乞います。中山王尚育)とある。漢詩は、唐の詩人・宋之問の漢詩集「苑中遇雪應制」に同じ作品が掲載されており、尚育王がこの詩を書いて林に見せたと思われる。
 書は中国製の上質の絹に書かれている。絹は墨がにじむため文字を書くのは難しく、尚育王の高度な技術を物語っているという。
 日本政府が琉球王国を強制的に併合した1879年の「琉球処分」以降、尚家が所蔵していた文化財の多くが東京に渡った。書はその中にあり、まさ子さんが衆院議員、内務政務次官を務めた漢那憲和と結婚する際、継承したとみられる。肇さんが桃原農園(尚厚社長)を通し、このほど沖縄美ら島財団に託した。
 同財団首里城公園管理部の上江洲安亨事業課長補佐(学芸員)は「他に残っている尚育の書と照合し、間違いないことを確認した。尚家に残っていれば、他の文化財と一緒に国宝に指定されていたと考えられる」と話した。同財団は9月11日に鎌倉市で寄贈式を開いた上で、書をいずれ施設内で展示する予定。
 肇さんは「私の手元に置いておくより、沖縄に戻したかった。いずれは一般の人にも見てもらえる形で展示してもらえるとありがたい。祖父に比べてあまり知られていない祖母のことを、多くの人に知ってもらうきっかけにもなれば幸いだ」と話した。(宮城隆尋)

<用語>尚育王(しょういくおう)
 1813~47年。第二尚氏第18代国王。琉球最後の国王・尚泰の父。15歳で実質的な王位に就く。在位中にベッテルハイムが滞在するなど、英仏海軍が来航。士族教育のための学校をつくるなど学問分野に力を入れた。34歳で死去。書家としても知られる。

※注:青旗遙倚望春臺の「旗」は「其」が「斤」