<キラリ大地で>【ドイツ】ゆとりある生活楽しむ 通信会社勤務・松川さん


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ドイツ国営テレビのクイズ番組に出演することが決まり、自宅でカメラマンの撮影に応じる松川力さん

 ドイツの旧首都、ボンにあるコンピューター通信会社に勤務する松川力さん(38)=那覇市出身。松川さんがドイツに来るきっかけとなったのは、なんと中国留学であった。
 北山高校を卒業後、東京に就職、たまたま帰省中に見た沖縄テレビ(OTV)の中国紹介番組に感動、中国にひかれた。「なんとしても中国に行きたい」とOTVに電話を入れたところ、あっせん先を紹介された。

 松川さんはその後論文試験に合格し、1988年から北京語言学院での留学生活が始まった。しかし、89年6月4日に天安門事件が発生、日本へ強制帰国させられた。
 東京でバイトをしながら情勢が収まるのを待ち、同年9月には北京に戻った。そのころ、松川さんには、心に決めていた人がいた。やはり、中国にみせられ、中国語の勉強に来ていたドイツ人の女性であった。
 その女性が、のちに妻となったリンダさんである。松川さんはリンダさんのために、彼女の故郷であるドイツに移り住むことを決心し、90年11月シベリア鉄道を利用して渡独した。
 松川さんは、当時ドイツ語はまったくといっていいほど話せなかったといい、2人の共通の言葉は中国語だった。就職については、語学力不足ながらも雇ってくれた今の会社の社長に感謝しているという。
 「日本語のできない外国人を採用してくれる会社が、沖縄や日本にいくつあるでしょうか」と問い掛ける松川さん。入社当時は単純なこん包作業が主だったが、「月日はあっという間に過ぎ去り」(松川さん)、現在は入庫商品の検査、管理などを担当するまでになった。日系の会社に勤める日本人が多い中、松川さんのように、ドイツの会社に勤める人は少ない。
 ドイツに来て、10年間は沖縄県人会の存在も知らず、日本人とも全くコンタクトがなかったという。「年2回の県人会は、日本語を話す唯一の機会で楽しみにしている」と話す。
 ドイツにきた当時は、週末に閉まるスーパーや、百貨店の営業時間に閉口したというが、今はかえって「何もできない週末ではなく、何もしなくていい週末」というふうに考え方が変わり、家族そろって小旅行を楽しんでいるという。子宝に恵まれ、待望のマイホームも昨年購入、すべてに恵まれ、生活は充実しているようだ。
 ところで、松川さんはドイツの国営WDRコスモテレビの番組に出演が決まった。外国人にスポットを当てた番組で、いくつかのヒントを掲げながら登場した外国人が、どこの国からドイツにやってきたのかを当てるクイズだ。
 (キシュカート外間久美子通信員)
(随時掲載)