<シカゴ県人会の助っ人>上


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太鼓のリーダーとして活躍する芳子・ジュラビックさん(上)、「将来的には沖縄で多くのことを学びたい」と話す竹田賢太君

 シカゴ県人会の沖縄伝統芸能に対する熱の入れようは、他州の県人会をしのぐのではないだろうか。三線、琉球舞踊のけいこを毎週土曜日、日本のスーパーマーケットの一室で行っている。連載ではウチナーンチュ以外の沖縄の伝統芸能にひかれた意外な顔ぶれを紹介する。

◆太鼓のリーダー、琉球舞踊も習得/芳子・ジュラビックさん
 他府県出身の人で沖縄芸能に魅せられ、はまる人は少なくない。しかし、リーダーとして演舞の指導に携わる人はなかなかいない。シカゴ県人会で祭り太鼓グループの指導者として活躍する芳子・ジュラビックさんは、東京都出身。長年シカゴ沖縄県人会のメンバーとして、沖縄芸能に高い関心と情熱を持ち続けている。
 芳子さんは、「先生がいないため、ビデオを見て、自分が演技を覚えなければならない。テープがすり減るくらい、何度も回してマスターする」と話す。
 祭り太鼓は、各催し物にボランティアで参加し、地域の人に喜ばれている。
 昨年の公演会でも熱演し、会場から大きな拍手が起こり大好評だった。琉球舞踊も習得し、「四つ竹」も披露した芳子さん。「2001年の世界のウチナーンチュ大会で初めて沖縄に行き、大いに楽しんだ」と笑顔で答えてくれた。今年、芳子さんは、シカゴ県人会の副会長に選出された。

◆沖縄が人生までも変えた/竹田賢太君
 竹田賢太君は、父親の仕事の関係で日本からシカゴへ引っ越し、現地の高校に通った。インドネシア、タイ、シンガポールと長年海外生活を送ってきた賢太君にとって、沖縄は未知の世界だったが、たまたま、父親が働く日系企業に県人女性が働いていたことが沖縄との接点になった。
 シカゴ沖縄県人会の週1度の三線のけいこに連れて行かれ、初めて触れた三線。賢太君は、三線の音色にひかれ、即練習を始めた。めきめきと上達し、昨年500人以上の観客の前で初舞台を踏み、落ち着いたばちさばきを披露した。
 冬休みには初めて沖縄への一人旅を経験した。沖縄市のかりゆし同好会の大城幸信会長宅で三線の特訓も受けた。賢太君は、沖縄の印象を「日本とは違う異文化を感じた」と話す。そして沖縄に移住することを決意する。
 三線グループのアイドル的存在の賢太君にとって、沖縄県人会とのかかわりが、アメリカ生活の中でかなりのウエートを占め、進路にも大きく影響を与えたようだ。賢太君の父親は、「沖縄が息子の人生までも変えた」と話す。
 6月上旬、アメリカの高校を無事卒業した賢太君は、「沖縄の大学に進学し観光学科で学びたい。将来的には沖縄で多くのことを学び、そして沖縄を拠点として世界の国々を見てみたい」と抱負を語ってくれた。
 (鈴木多美子通信員)