【アメリカ】日本庭園を3度再建 ロサンゼルスのルーズベルト高校


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日本庭園造りに尽力した(左から)高山成雄さん、山城春雄さん、グレース前田さん、カリフォルニア造園業協会会長のバーバラ・アルバレスさん=「平和苑」の前庭

 ロサンゼルスのイーストサイド(東側)はメキシコ系人が多く住む地域として知られている。映画「East LA」はそういった所の人間模様、特に若者たちの喜怒哀楽をモチーフにして出来上がった作品である。いわゆるアメリカの貧困地帯を忌憚(きたん)なくとらえた作品として話題になった。
 このイースト・ロサンゼルスの表玄関ともいえるボイル・ハイツにあるルーズベルト高校(セシリア・ケマダ校長)での出来事が最近2つの大きなニュースとなって、ちまたをにぎわしている。

 100年以上の歴史を持つこの由緒あるルーズベルト高校は現在では5000人の学生の98%はラテン系であるが、今度のロサンゼルス市長選で130年ぶりに同校卒業生でメキシコ系であるアントニオ・ビラライゴーサさんが現職のジム・ハーンさんを破り当選、6月29日に就任した。同校にとっては大きな栄誉であろう。
 1970年代まで同校には日系人学生も多く在学した。その数2000人ともいわれている。ボイル・ハイツは割と富裕層のいろいろな人種、ユダヤ系、ロシア系、ヨーロッパ系などが住み、リトル東京に隣接している関係上、日系人も多数居住していた。80年代以降はラテン系が大勢押し寄せるようになり、その他の人種は郊外へと移住していった歴史的事実がある。
 1935年、日系人生徒が中心になり校内に日本庭園が建設されたが、日系人排斥運動と戦争で壊されてしまった。その後長い年月がたち、96年に卒業生で日系人のリーダー的存在でもあるブルース・カジさんやポール・バンナイさんが先頭に立って再建したが、管理が不十分で再び荒廃していった。
 同校35年度卒業生で東京在住の実業家、高山成雄さん=帰米2世=が昨年同校を訪れた際、荒れ果てた同園を見てがっかりし、再建・維持費として4万ドル(約500万円)の寄付を申し出た。在校当時日系人部長だった高山さんは「ボイル・ハイツの日系人宅に足しげく通って寄付金を集めた記憶がよみがえってきた。その努力を無駄にしたくなかった」という。
 高山さんは昨年、南加三重県人会100周年記念式典に際し、ロサンゼルス地域で手広く造園業を営む沖縄生まれの在米3世の山城春雄さんに造園を依頼した。山城さんの妻高子さんは三重県系2世である。山城さんはそれを快諾、息子のクリス、孫のリチャード山城さんと共に約1カ月半を要して完成させた。
 同校では6月12日、職員や日系の卒業生、高山さん、カジさん、バンナイさん、ローズ・オチさんらが出席する中、「平和苑(えん)」の完成式典を挙行した。今後は高山さんのめいで「平和苑」の命名者のグレース前田さん(三重県人会会長)と山城さんが共に管理役を担う。
 「日本庭園は管理が非常に大切である。私は卒業生ではないが、日系のリーダーたちが同校の卒業生に大勢いたので感謝の念を込めて造園した。親子3代で手掛けたのでアフターケアを欠かさないようにしたい」と、山城さんは話した。(当銘貞夫通信員)