【ペルー】戦後帰国者 苦難の歴史 知念村系・小波津浩さん(72)


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
戦後帰国者の苦労を語る小波津浩さん=県人会館前

 ペルーではこのほど、戦後帰国者と戦後移住者に対する謝恩祝賀会が催されたが、戦後帰国者の1人、小波津浩さん(知念村系、72歳)から当時の状況を聞くことができた。苦難の道のりを以下に紹介する。

 1952年、終戦後、最初の戦後帰国者と戦後移住者52人がペルーのリマ・タンボ空港に降り立った。しかし、当時のペルーの大統領は反日派だったために、52人の入国は許可されず、一時空港内に足止めされてしまった。そのため空港で20数年ぶりに会えるはずだった家族とも会えなかった。
 このあと他国への出国を強要され、泣く泣く52人の戦後帰国者たちは隣国のボリビアへと再び旅立った。その中には私を含め、那覇市系の池宮城秀雄さん、金武町系の伊芸正栄さん、与那原町系の山口房雄さんらが含まれていた。
 ボリビアのラパスに着いた後、皆ばらばらになった。同国サンタクルースに行く者、ラパスに残るものなど、知り合いもいない異郷の地。寂しい思いで気がめいっていた。当時22歳だった私はほかの20数人の者とサンタクルースに移動したが、生い茂るジャングルを切り開いての厳しい重労働の中で生き永らえるのが精いっぱいの毎日だった。
 やがて、ぺルーの大統領も穏健派に代わり、入国できるとの情報を得て、1954年末にようやくペルーの地を踏むことができた。
                      ◇
 現在、ペルーには戦後移住者と戦後帰国者は合わせて300人近くいるという。戦後、一親等以外の移住を認めなかったペルーをあきらめ、海外移住者のほとんどがアルゼンチン、ブラジル、ボリビアへと渡ったのである。
(赤嶺光弘通信員)