<キラリ大地で―活躍する県系人―>夢がかない人生に満足/スーザン・カネシロさんグラフィック・デザイナー


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グラフィック・デザイナーとして活躍するスーザンさん。左は二男のエリック君

 話が弾んでくると、スペイン語なまりの英語に沖縄の方言が交ざり始める。「祖父母は具志川と羽地の出身。私は生まれも育ちもペルーの3世」。沖縄とのかかわりを聞くと、アメリカの3世とは対照的に、祖父母が育った村の様子までも描写できる。
 「ペルーにいる沖縄系は団結心が強い。祖父母が沖縄のどの村の出身ということは、自分の名前を覚えるくらいに重要なこと」と話す。

 スーザン・カネシロ・セガーラさん(34)は大学に進学するため、18歳でカリフォルニアに移住。カリフォルニア州立大学フラトン校に在学中、知り合ったボリビア生まれの沖縄系の人と結婚した。2児を出産し、“母親業”と“学生業”を両立させながら、7年かけて卒業した。「2人の子育てをしながら、講義の合間に庭園業を営んでいた夫の仕事の経理を担当したりした。寝る暇もないほど、忙しい毎日だった」
 ペルーにいたころの将来の夢は、言語学者かジャーナリスト。「いろんな人種がたくさん寄り集まっているペルーは文化が豊か。その文化を支える言語学を追究してみたいと思っていた」
 一方で、成長するに従ってアート方面にも進みたいという願望が強くなり、大学では美術工芸を専攻。図書館でアルバイトをしている時に、グラフィック・デザイナーとして書物の制作にかかわりたいと思い始め、卒業後、車の専門誌で経験を積んだ。
 のみ込みの早さと仕事の的確さが買われ、つめのおしゃれを演出するファッション雑誌「NAILS」に転職。グラフィックデザイナーとしての才能をいかんなく発揮する毎日だ。
 アメリカの女性は週に1回、ネイルサロンに通ってつめの手入れをする人がほとんど。街角の至る所にネイルサロンがあり、腕のいい技術師のいる店は、口コミであっという間に客が増える。
 どの店に行っても必ず置いてある「NAILS」。約200ページのボリュームと色彩美あふれる作品を数多く取り上げており、最先端の流行を取り入れようという技術師らが熱心に目を通している。ロシアやメキシコ、日本での創刊も間近に控えており、忙しさは倍増しているという。
 週末は、2人の息子が所属するフットボールやバスケットボールの試合観戦を楽しむ。母国語はスペイン語だが、子供たちとの会話は英語。「子供たちには何とか日本語を習得させたい」と奮闘している。
 「離婚や再婚で苦労もしたけど、子供たちも素直に育っている。マイホームも買い、好きな仕事を楽しめて、自分の人生に満足。私のアメリカンドリームはかなった」
(平安名純代通信員)
(随時掲載)