実家や親戚の家によくある〝中華イカの和え物〟は沖縄で独自に定着!? 【島ネタCHOSA班】


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お祝いなどでよく食べる中華イカの和え物ってありますよね。この前、県外出身の友人と話している中でその話題になったんですが、友人は何のことか分かっていない様子。写真を見せてもピンときていない感じでした。あれってもしかして沖縄だけのものなんですか?

(那覇市 イカスミじょーぐーさん)

おかずにもお酒のおつまみにもなる「中華イカ」。ごま油の香りとピリ辛な味付けで調査員も大好きです。依頼者さんの言う通り、県外出身の方に聞いてみると「知らない」「食べたことない」という答えが比較的多く返ってきました。しかし全く認知されていないわけでもなさそう…。

そこで実際に中華イカを販売するお店に行ってみることにしました。訪れたのは牧志公設市場にある「平田漬物店」。店頭には島らっきょうなどの漬物と一緒に山菜と和えた中華イカが並んでいます。接客をしていた社長さんに話を聞くと、「中華イカおいしいよね。うちの仕入れ先が長くやってるから詳しいはずよー」と南城市佐敷にある水産加工所を紹介してくれました。

県産ソデイカを使用

調査員はさっそく教えてもらった「有限会社 水実(すいみ)」へ。応対してくれたのは社長の兼島盛雄さんです。

兼島盛雄さん(中央)とイカを使った加工品を製造しているスタッフの皆さん
大きいものでは体長1㍍、体重20㌔になるソデイカ(方言名セーイカ)。沖縄県ではマグロに次いで多く漁獲されている水産資源です(提供:有限会社 水実)

「この機会に当社で出荷した中華イカの量を計算したのですが、なんと年間約80~85㌧。自分でもおどろいてしまいました(笑)。県内には他にも生産しているメーカーさんがいるので、それを合わせるとさらに多くなりますね」

えーっ! 中華イカってそんなに需要があるのですか。いきなりびっくりの事実です。兼島さんは続けて、1990年代に原材料であるソデイカ(方言名セーイカ)漁が確立されたことが各家庭への定着のきっかけだったと話します。

実は兼島さんは、ソデイカを使用した中華イカ作りを最も早い時期に始めた人物。漁が始まったばかりの90年代初頭には廃棄されていたソデイカのエンペラ(胴体横のひれ)やゲソを有効利用しようと生み出したのが中華イカだったのです。

中華イカ自体は90年代以前から県外の業者が生産していました。しかし、そちらはムラサキイカという種類を使ったもので珍味という位置付け。流通量も少なく、価格も比較的高かったようです。そこで兼島さんは、ソデイカの廃棄部位(当時は原価0円だったそう)に目をつけ加工方法を研究。安価な流通を可能にしました。なるほど、県産の中華イカは、親しみやすい食品となっている点で本土産のものと違うのですね。

家庭行事がきっかけに?

現在のように、お祝い事や法事の一品として中華イカが使われ始めるきっかけは何だったのでしょう。こちらも兼島さんに聞いてみると「実は自分もよくわからないんです」との答えが。メーカーとして、食べるシーンの提案をしたことはないのだとか。ただし一般家庭の台所が、中華イカのおいしさを伝える際に重要な役割をしたのでは、という見解を示してくれました。

「沖縄では祝い事や法事があると、親戚や地域の人が集まって炊事のお手伝いをしますよね。最初はどこかの家が試しに取り入れたのかもしれません。しかし『中華イカの和え物は簡単でおいしい』と評判になれば、まねして自分の家でも作ります。10軒の家庭に伝われば、各家で行事がある際にさらに多くの人に伝わっていく。アナログですが、強力な情報伝達だと思いませんか」

ソデイカを使った中華イカは、よく見ると身の断面に2、3本のスジが入っています。きざんだ野菜や春雨と混ぜ合わせれば、すぐに一品できる「アレンジのしやすさ」が魅力です

地域の人々の交流を通して地元の食材が広がっていく、というのはすてきな発想です。県産中華イカは製造が始まって30年程度ですが、いつの日か伝統的な沖縄料理と呼ばれるようになってほしいですね。

有限会社 水実

南城市佐敷字伊原298 (マップはこちら
☎ 098-947-3823

(2020年3月19日 週刊レキオ掲載)