ポーランド・ワルシャワの地下酒場で音楽の力を感じた夜~Music from Okinawa・野田隆司の世界音楽旅(7)


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

世界遺産に指定されているワルシャワ旧市街の歴史地区。右側の建物は旧王宮。

コロナ禍の中、過去にリリースした音源を、サブスクリプションでリリースすべく一枚ずつ作業を進めている。那覇の栄町市場を拠点に活動するミクスチャーバンド、マルチーズロックのライブアルバム「ワルシャワの夜」を手に取ってみて、4年前の冬の極寒のワルシャワのことを思い出した。

「私たちがやっているイベントに、マルチーズロックに出演して欲しいのですが、ワルシャワでライブをやることに興味はありますか?」

ポーランドのワルシャワで、「Radio Azja(ラジオ・アジア)」というイベントを行っているAnna Mamińska(アナ)さんからメールをもらったのは、2015年11月の終わり頃のことだった。その前月、ハンガリーの首都ブダペストでのワールドミュージック・フェスティバルで、ワルシャワのDJが手にしたマルチーズロックのCDが、アナさんの手に渡り、連絡が来たのだった。

ワルシャワの街の風景

ワルシャワという街、そしてポーランドという国には、とても重い歴史を背負ってきた印象がある。第二次大戦時のナチス・ドイツとソ連の侵攻、そして大戦後、ベルリンの壁が崩れるまで続いた長年にわたるソ連の衛星国家としての立ち位置。
その一方で、フレデリック・ショパン、キュリー夫人、ヨハネ・パウロ二世といった、近現代史の奇跡とも言える数々の人物を生んだ場所でもある。
その程度の知識しか持たぬまま、抑えられない好奇心を抱えながら、メンバーとともに、成田からドーハ経由の飛行機に乗ったのは2016年2月の深夜のことだった。

音楽に合わせてローリングストーンズのパペットがパフォーマンスを披露する。時々、ミック・ジャガーが投げ銭を求める。ストリートミュージシャンは皆、街の風景の一部になっている。

2月のワルシャワは凍りついていた。昼間、日が差していても、短時間の町歩きさえ億劫になるような寒さだった。世界遺産になっている旧市街は、観光客の姿はほとんどなかったが、地元の人で賑わっていた。手回しオルガンやクラシックなアコーディオン。広場や公園では、日本ではなかなかお目にかかれない類のストリートミュージシャンが演奏をしていた。楽器が奏でる音は、凍りついた通りに暖かな空気を作り出していた。

地元のクラフトビールを飲ませてくれる店。牛肉を煮込んだグラシュ。ポーランド風カツレツ(コトレット・スハボヴィ)。ピエロギは餃子に近い。
雰囲気のある古い映画館での日本映画の特集上映。荻上直子監督と、安藤桃子監督の作品が上映されていた。

今回、マルチーズロックが招かれたイベントは、旧正月に合わせたもので、ライブの他に日本映画の特集上映も行われていた。様子を見せてもらった小さな映画館 「MURANOW」には、旧正月的な装飾が施されていた。安藤桃子監督の「0.5ミリ」と荻上直子監督の「レンタネコ」がラインナップされていた。「レンタネコ」の上映が始まるところで、客席は満席だった。日本の映画は人気があるらしい。”クール・ジャパン”とはレイヤーがまるで異なるものの、映画や音楽といった日本や沖縄の文化が遠い国で紹介されていることを嬉しく思う。

SKADYKTATORのリーダーRedaさん。地元でも多くの人に愛されるミュージシャン。

ワルシャワ公演の前夜に、対バンする地元のスカバンド「SKADYKTATOR」のリーダーでボーカリストReda Haddadさんからメッセージが届いた。
「ブヌエルというスペイン料理屋で、プライベートなライブをやるから来ないか?」。グーグルマップで場所を調べて、ガチャピン(マルチーズロック・ベーシスト)とタクシーに乗った。

レストランの2階フロアで行われていたライブは、まさにプライベートなパーティーで、バンドと観客の距離が近い、とても親密な雰囲気。席に案内されて、大皿のパエリアや肉料理にビールまで振る舞われた。
SKADYKTATORは、伝統的なジャマイカのスカとジャズをミックスしたスカバンド。地元でも有名で、海外でのライブも多いそうだ。バンドは生音で、ボーカルのRedaさんもマイクを使わない生声。少し気の毒な気もしたが、そうしたことを意に介さないような圧倒的なエネルギーで観客を巻き込みながら、会場の温度を上げていった。
本来ならいるはずのない場所に、何かしらの縁で居合わせることになり、新しい人と音楽に出会い、親切に触れる。とても不思議な一夜だった。

マルチーズロック、会場でのリハーサル。コミュニケーションは英語だが、準備することは世界中どこでも同じだ。
いきなり新曲をやる、やらないという話になり、楽屋裏はいきなり慌ただしくなる。

マルチーズロック、ライブ当日。夕方近くに街の中心にある会場のライブハウス「HYBRYDY.KLUB」に入る。
バンドで海外ツアーに招かれること自体初めてのことで、最初のメールの段階から色々と細かなやり取りを繰り返し、不安な面は確認もしてきたつもりだった。それでも拙い英語でのやり取りということもあり、心配だったのだ。いろいろと勉強させてもらったやり取りではあったが、リハーサルで何とか音が出せた時は、胸をなでおろした。

SKADYKTATOR。昨夜のスペイン料理屋と違って爆音でノリの良いサウンド。ステージも客席も徐々にヒートアップしていく。

会場は、詰めれば500人近くは入るのではないかというくらいの広さ。見も知らぬ異国の地で果たしてどれだけの観客が集まってくれるのか、まるで予想はつかなかった。地元の新聞に大きく公演の記事が載ってはいたものの、対バンのSKADYKTATOR頼りという気がしていた。
観客は半分足らず、というところだろうか。十分とは言えないが、予想よりも多かった。最初にSKADYKTATORが演奏して会場をあたためてくれた。Redaは途中、会場のフロアになだれこんだり、マルチーズロックの馬頭琴奏者かおりさんを呼び込んで、コーラスで参加させたり、本人が一番楽しんでいる様子だった。

マルチーズロック1曲目はアルバム最初の曲「ダイナマイトピース」。

マルチーズロックは、前年(2015年)秋にアルバム「ダウンタウンパレード」をリリースして、ライブも頻繁に行っており、バンドとしてのコンディションは上々だった。
しかしステージ前の楽屋裏では、いつもより少し緊張感が高かった。初めての海外の街でのライブということもあるが、リハーサルの後、食事をとりに入ったヌードルショップで、サックス+キーボードのあかねさんが体調を崩して倒れてしまい、(のちにインフルエンザと判明)軽くざわついた雰囲気になったのだ。なんとかステージに立つことはできたものの、本番中は気が気ではなかった。

緊張感が功を奏したのか、演奏は緩みのないタイトなもので、ヴォーカルのもりとの声もよく出ていた。エキゾチックで無国籍感がいっぱいのマルチーズロックの音楽は、ワルシャワの地下の酒場を怪しい雰囲気で満たした。オープニングの「ダイナマイト・ピース」からアンコールの「ダウンタウンダンス」まで、全11曲。観客の反応も非常にダイレクト。曲が終わるごとに大きな歓声で包まれて、ワルシャワの夜は、熱く更けていった。

終演後、ロビーではCDへのサイン会が始まり、楽屋裏ではセッションが始まる。どちらも大切な交流。

ライブの後、Redaさんに誘われるままに連れて行かれたのは、「ARTYSTYCZNE」というどこの町にもひとつはありそうな、とてもとんがった人が集まる隠れ家的な場所。周囲には工場が並んでいて、この店も工場がリノベーションされたもの。天井が高く広々とした贅沢な空間だった。

アンダーグラウンドで前衛的な雰囲気が充満するスペースには、とても自由な空気が流れていた。こうした場所の存在は、長く息苦しい時代を生き抜いてきたワルシャワの人々が、地下で育んできた知恵のようにも感じられた。
ステージでは、マルチーズロックのメンバーも加わって、ジャムセッションが延々と繰り返された。音楽は止まることがなく、ワルシャワの夜は、そのまま身を委ねてしまうと、戻ってこられないほど、どこまでも深く続いていきそうだった。

謎の酒場でのセッションは深夜にまで及んだ。

【筆者プロフィール】

野田隆司(のだ・りゅうじ)

桜坂劇場プロデューサー、ライター。
1965年、長崎県・佐世保市生まれ。
「Sakurazaka ASYLUM」はじめ、毎年50本以上のライブイベントを企画。
2015年、音楽レーベル「Music from Okinawa」始動。
高良結香マネージャー。