まんがで伝える沖縄戦 「震える少女」の物語(後編)


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(前編)はこちら
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R1…米軍の収容所

沖縄本島や周辺離島に上陸した米軍は住民を収容し、各地に設けた収容地区に送った。収容地区で暮らす住民は45年8月末までに33万4千人を数えた。住民は戦闘に巻き込まれる危険性から逃れたがマラリアや食料不足に苦しんだ。住民が収容地区にいる間、米軍が土地を接収し、基地の建設を進めた。収容地区を出ても元の集落に戻ることもできなくなった住民はやむなく基地の周辺に集落を築いた。

R2…不発弾

沖縄戦で使用された爆弾は約20万㌧で、戦後75年がたった今も県内には約2千㌧の不発弾が地中に眠っているとみられる。不発弾は県民の安全を脅かしている。統計によると1946年から71年までに704人が不発弾事故で亡くなった。復帰後も、74年に那覇市の聖マタイ幼稚園そばの工事現場で不発弾が爆発し、4人が亡くなるなど痛ましい事故が起きた。不発弾処理に伴う避難指示など住民の負担も大きい。全ての不発弾処理を終えるまでに70年かかると見込まれている。