古写真から読みとく当時の街の姿 『1958年 沖縄配電ビル(現・OTV国和プラザビル)』【Okinawaタイムマシーン航時機】


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同じ場所で撮影したタイムスリップ写真から変貌を読み取る。
レンズを通して見る街並みや建造物は、当時の生活や世相を映す鏡。現代にも息づく街の魅力とパワーを再発見しよう。

OTV放送会館のある国和プラザビルは、那覇市中心部の裏通りの立地にも関わらず、テレビ局の大きなアンテナが目印となって那覇市のランドマークの一つになっている。1982年の完成なので、今年で築39年。すぐ横にはパレット久茂地、他にも琉球新報社屋や那覇市役所庁舎、沖縄県庁など再開発された物件が多いエリアだが、その中でも先輩になるわけだ。そのせいなのか、国和プラザ以前にあった建物については、思い出話もあまり聞くことはなかったが、実はその場所には沖縄配電のビルがあったのだという。これを知ったのはつい最近のことで、とある結婚式の8ミリフィルムを調べている時だった。沖縄配電ビルには宴会場もあったようで、フィルムに建物の外観も映っていたからだ。

 

1970年頃 8ミリフィルムに映っていた沖縄配電ビル

配電という業種はあまり聞かないが、文字通り電気を各家庭に配達する仕事である。復帰前の沖縄では、発電と送電の業務を琉球電力公社が行い、各家庭への配電は民間の業者が行っていた。そのため地域でいくつもの配電業者が存在していた。琉球電力公社は復帰後に沖縄電力となり、沖縄配電は他の五つの配電会社とともに1976年に沖縄電力に吸収合併されている。それを受けての再開発が行われたということなのだろう。

 

1958年 久茂地川から見た沖縄配電ビル

それを知って1958年に撮影された那覇市中心部の写真を見返すと、確かにまだ整備されていない久茂地川の辺に沖縄配電ビルが大きく写っていた。配電会社という社会インフラの象徴的な建物だったと言える。そう考えると、再開発とは、単に古いものを作り直すだけではなく、インフラ等を含む社会システムの変化を意味していることがわかる。

沖縄の日本復帰によってもたらされた社会システムの変化が、街の形として具現化されたのである。逆に言えば街の形の変化をさかのぼることで、私たちの社会が利用し、必要としたシステムの変化もさかのぼることができるのだと実感させられた。

 

2021年 OTV放送会館が入居する国和プラザビル

 


 

執筆:真喜屋 勉(まきや つとむ)

沖縄県那覇生まれの映画監督であり、沖縄の市井の人々が撮影した8ミリ映画の収集家。沖縄アーカイブ研究所というブログで、8ミリ映画の配信も行っている。

https://okinawa-archives-labo.com/