【琉球新報Style×週刊レキオ】2022年も”地元”にこだわりぬく ハンサム 新春インタビュー

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地元沖縄にこだわって活動を続けてきたFEC所属のお笑いコンビ「ハンサム」。どこかゆるくて愛されキャラの金城さん、いかついけれど頼れる先輩キャラの仲座さん。二人の対照的​な性格は、コンビの危機を招いてきましたが、一方であのヒットキャラ「護得久栄昇」誕生のきっかけに? 週刊レキオ新年号掲載の2022年新春インタビューの拡大版をお届けします!




FEC入団からコンビ結成まで
 


―お笑いの世界に入ったきっかけは?

仲座:ハンサム結成は2000年なんですが、その前から活動はしてて。FECに入って芸人を始めたのがお互い1996年ですね。

金城:別々で入ってきたっていう。

―金城さんのほうが年上ですよね?

金城:はい。僕のほうが4つ年上。でも、こっちがいばってるんですよ(笑)。

―なぜFECに?

金城:僕は、まったくお笑い芸人になろうと思ってなかったんです。普通に仕事もしてましたし。お笑いは好きだったし、お笑いポーポーには衝撃を受けたんですけど。お笑いはいろいろ見てましたが、内地に行くっていう選択肢はなかった。あっちに勝負できることないなー。無理かなと思ってたら、沖縄にもお笑いってあるんだって気付いて。沖縄でできるんだったら沖縄でやろうっていうことがきっかけですね。

仲座:僕は使命感で入ったんですよ。「俺が沖縄でお笑いをやらんと誰がやる!」っていう使命感で入ったら、他の人がばんないやってたんですけど(笑)

仲座:本当にそう思う。何にも分からないままでしたね。

―金城さんはその時は働いて…

金城:働いていました。サラリーマンをやってましたね。

仲座:最初はそれぞれ別々でコンビを組んでいました。僕は高校の同級生を引っ張ってやってましたね。そいつは1年たってすぐやめました。僕は使命感で入ってきてるんですが、友達はただ、僕に誘われて高校の延長線上でやってたので、「言ってること重たいな」ってなったんでしょうね。当時、その友達は大学生だったんですけど、「サークルがあるから、今日ネタ合わせ休んでいいか」みたいな感じで言われて「ちょっと待て」と。「サークルとお笑いどっちが大事だば!?」みたいな感じで言ったら「ごめん、サークルだな」と…。だんだんそういう違いが出てきました。

―金城さんは別の方と…

金城:同じ時期にFECに入った女性メンバーがいたんですよ。

仲座:女子高生なんですけど。

金城:僕と8歳違ってましたけど、一応同期(笑)。コンビになったんですよ。彼女がその時学生で「将来警察官なりたいから、もうお笑いできないよー」ということで、「そうか、じゃあ頑張ってー」って解散したら、数年後に大阪よしもとで頑張ってましたね(笑)。

仲座:お笑いじゃなくて、金城さんとはできないっていう(笑)。

金城:それで、振られたもん同士でというか…。

仲座:その女の子とのコンビ解散の翌月から、僕らコンビを組みました。お互い同年代で入ってるし、一緒にライブも出ていたし、それぞれのことは分かっていて自然に「コンビ組もうかー」っていう流れになりました。僕はずっと鼻息荒い状態でやっているんですが、一方の金城さんはサラリーマン。ツナギ姿で事務所に来ていたんですよ。コンビを組む前に「金城さん面白いと思うけど、俺はこれで飯食っていきたいから、そういうつもりじゃないんだったらコンビ組めない」って話したら「いいよ、じゃあやろう」ってなった。気持ちは一緒なんだな、っていうことでコンビを組みました。

金城:仕事やりながらその隙間でやろうと思って。

仲座:ところが、今度は半年後に結婚して、披露宴挙げるっていう話になっていました。「なんか言ってること違うな」と思っていたんですけど。

金城:仲座は怒ってましたね。結婚をこんなに喜ばない人がいるんだと(笑)。仲座は本当に鼻息粗くて、僕はもうゆったり…お笑いでご飯食べれたらいいなとは思ってましたけど、今すぐには無理だろうなと思ってたんで。そこらへんのイメージの違いはあったと思います。だから、わじわじーしてたと思いますね。

仲座:そうですね。
 


「もう一緒にやれない」と思ったことも…
 

―結成から現在までの間にコンビの危機は?

金城仲座たくさんありました!

仲座:ネタ合わせだったり漫才作っていたりする時に、あんまりお笑い感の違いでケンカになることはないんですけど。(金城さんが)ディキランヌーなんで…(笑)

金城:たーがしーじゃーか(笑)。

仲座:ネタを間違うとか、俺が「もっとこうしてよ」みたいな強めのリクエストを出したら、金城さんは「わかった、ごめんごめん」とか言うんですけど、僕は「本当にごめんと思ってるか!?」と勘ぐってしまうんですよね。

金城:かぶせてくる(笑)。

仲座:金城さんが失敗をする、その失敗を僕が強めにいさめる、そのいさめ方にくにひゃー(こいつ)がキレる、それでもう一緒にできない、みたいな。毎回同じパターン(笑)。

金城:「俺は悪いかもしれんけど、お前の言い方も悪いよ、イライラするよ」と。

―年上ですしね。

仲座:で、僕が「言い方が悪かった。ごめん」と言いつつ、「でも悪いのは、金城さんだと思うよ」と(笑)。そういうのが3、4回ぐらいありましたね。

金城:そんなに売れてなかったし、くすぶってると楽しくないんでしょうね。お互い不満があった。

仲座:結局、相手のせいにしてたんです。漫才がうまくいかん、仕事がうまくいかんのは「おまえがちゃんとできないからだ」みたいにお互い思っていたんですよね。その時は自分では気づいてないんですけどね。

金城:で、僕がいったん離れようと思ったんですけど、その時40歳過ぎてて、この歳で離れていいのかと考えて、やっぱりちゃんとやろうって思いまして…。あと僕は「俺の方が年上だから言うこと聞け」みたいなのがあったんですけど、それは違うなと思い直しまして。ハンサムのプロデューサーは仲座だから、彼に一任しようと思いました。「俺は仲座の手のひらで踊らされとけばいいんじゃないか」って思って。そうしたら僕がやりやすくなった。それに気付くのに時間かかりましたね。

仲座:それが2015年ですね。それから本当に心の底から腰すえてやることになって、翌年にライブをたくさんしよう、そのためにネタをたくさん出そう、ということで生まれたのが「護得久栄昇先生」だった。

金城:いろいろやったうちの一つで、みんなに喜んでもらえるのが見つかったという感じですね。

仲座:当時ギリギリだったんですよ、本当にもう。離れるかコンビ別れするかみたいなところでラストチャンスじゃないけど、もうちょっと頑張ってみようという時に、いい出会いに恵まれました。
 

護得久栄昇、誕生秘話!
 

―護得久栄昇誕生のエピソードを教えて下さい。

仲座:護得久栄昇先生って、大御所で上から目線で、高圧的な三線ひちゃーっていう設定なんですけど、これは沖縄の偉くていばってる人たちの集合体なんです。「こういう人いる」とよく言ってくださるんですよ。

金城:あるあるになったらいいな、と(笑)。

仲座:歌三線業界に限らず、どこにでもいる「偉くなってアンタッチャブルな存在になっている人」のイメージ。

金城:実際、仲座の地元の先輩にそんな方多かったみたいで。

仲座:僕の地元の伝統芸能をやっている先輩方の集合体なんですよ。普段の稽古の時には高圧的なんですよ。「今日は何やるか分かるよね?」みたいな。護得久先生が言ってるセリフが全部そのまま。

金城:「分かるよね」とか(笑)。

仲座:高圧的なんですけど、稽古や本番終わったら若いメンバーと一緒に酒飲んだり、ご飯食べたりするんですよ。その時に人間らしい部分や愛くるしい部分がたくさん見えるんです。同じ目線でしゃべってくれたり、だらしなくなったり、眠ったり笑ったりふざけたり、みたいな。上から目線でいばってる人でも、どこか突っ込まれ所が見えるというか、弱点が見えると「愛せる人だなー」と思って、そういう人たち大好きだったんです。それをどうにか形にできたらな、っていうのが護得久栄昇先生だったんですよ。

金城:僕はそんな面白い人がいるよ、っていう話はずっと聞いていました。でも「護得久栄昇」っていう存在は、僕は仲座が演じる方が適してると思ったんですよ。

仲座:常にいばってるんで(笑)。でも、僕は最初作ってる時から金城さんをイメージしていました。でも台本を見た金城さんが「これ仲座がいいんじゃないか」みたいな感じで言ってくれたんですけどね。護得久栄昇先生って、大いなるボケのイメージがあるんですけど、そうじゃなくて、みんながボケたのを突っ込むんですよね。「かつらですか?」とか「歌えるんですか?」とか、周囲が冗談交じりに言ってきて、それを「誰に言ってるか!」とか「分かるよね?」とかって言って、突っ込む役なんですよ。ボケやすいキャラっていうか、愛されるキャラというか。その味で言うと、いばっても、どんなに偉そうにしても周りがいじってくれるっていうのは、完全に金城さんっていうキャラクターだったんで。

金城:それで言うと、確かにそうですね。

仲座:僕がただ高圧的なこと言ったら、周りが静かになるだけなんですよ(笑)。

金城:普通にびびるっていう(笑)。

仲座:それだと僕がイメージしていた護得久栄昇先生ではないので。最初、護得久先生って「上江洲栄昇」になる予定だったんです。なんとなく名付けたんですね。それでライブでもやって、O-1グランプリっていう護得久先生がいろんな人に知ってもらえるきっかけになった大会に出る直前に、うちの父親が「この前ライブ見たんだけど、わったー三線の先生も上江洲だけど、あのキャラは…?」と(笑)

その先生をモデルにしたわけではなかったんですけど、たまたま父親が習いに行っている先生と名字が同じで、「80歳近くになった父親に、この年になってまで親不孝しちゃうのか」と(笑)。そのまま世に出たら、父親が先生のところに行きにくくなるわけですよ。それで金城さんに相談して「ごめん、名字変えたい」と。

金城:慣れてきたところだったんですけど、仲座がお父さんのためにそんな言うことって初めてだったから。「親のことを思うならな」って変えることになりました。

仲座:もし上江洲のままだったら、僕はあまり人前では披露したくなかったかもしれない。父親を悩ませたくないと思ってるもんで…。

金城:そもそもネタ自体がやったら先輩方に怒られるんじゃないかとビクビクしてました。でも実際には怒られるどころか「もっとやりなさい」っていうのが多かったんで、それは安心しましたね。
 



地元沖縄への思い
 

―沖縄の中でお笑いをやることの意味は?

仲座:僕がお笑い始めたのは1996年。その時地元(南風原町喜屋武)の青年会長だったんですよ。小さい頃から地域のことをいろいろやってて。そしてお笑い始めたら、那覇の人たちが多い環境だったんで「お笑い頑張ろう!」っていうよりは、「那覇の人には負けないようにしないといけない、喜屋武を背負ってるんだ!」という感覚で入ったんですよ。その思いが今もずっとあるっていう感じですね。

僕は、入ったときからずっとそうなんですけど、ネタやる時も、ラジオやテレビとかイベントとか、人前に出る時は、「地元の人たちに笑ってもらえるんだろうか」という気持ちがずっとあるんですよ。地元の人たちって「あいつ、なんか嘘くさいこと言ってるな」って見透かすじゃないですか。だから、常に自分に嘘をつかずに、地元を意識することで本質をずっと忘れずにできるというか。そういう意味では、身近な人がいるところでずっとやるっていうことは、それだけ自分自身の成長につながるという思いはありますね。

―常に喜屋武の人たちを念頭に置いている、と。

仲座:それが徐々にネタで形にできつつあるというか。今度、ライブで喜屋武の伝統芸能の一つに、雑踊りの「戻りかご」っていう演目があって、それをネタにした漫才をやるんです。「喜屋武の人たちがこれ見たら絶対喜ぶな」というネタをストレートに表現しました。

金城:全体に受けるのか、っていうのはありますけど(笑)。

仲座:最近は地元のことを入り口にしたネタを作るようになっていますね。

―仲座さんは南風原に特化したユーチューブ番組「兼城十字路ch(チャンネル)」も配信していますね。

仲座:南風原町観光協会などに協力していただいております。思いとやりたいことが徐々に一致してきている感じはありますね。

金城:そこに関していうと、僕は仲座とはまったく逆で。僕は那覇の牧志で育ったんですけど、地元のことを頑張ろうって思ったことがなくて。お笑い始めて、沖縄の良さに気付いたんですよ。お笑いポーポーを見て「沖縄って面白いなー」と思ったし。仲座を見ていても、地元のために頑張っているのがうらやましいなと思って。沖縄には悲しい過去の話、戦争の話もありますけど、それも含めて沖縄は面白いんだよとみんなに気づいてもらいたいというところはあります。方言とかもこのままだとなくなっていくな、とか。そういうのも仲座が最新の沖縄の情報をくれるんで。

仲座:(県外の漫才で)否定する意味で「…じゃねーよ」とか言ったりするじゃないですか。でも僕らは「じゃねーよ」を禁止にしてるんですよ。沖縄には「あらんどー」という言葉があるし、僕らの世代でしゃべれる言葉っていうのは、漫才の中には特に意識して入れるようにはしてますね。そのほうがしっくりくるので。

―金城さんは復帰っ子ですよね。復帰50周年への思いは?

金城:僕は復帰っ子、復帰っ子って小さい頃から言われてるんですよね。

仲座:いつまで「子」よ?っていう話ですよね。

金城:「復帰おじさん」やし。復帰おじさんたちは、ただ復帰の年に生まれただけなのに、もてはやされる。それがなんかずっと気持ち悪かった。でも今、やっぱり先輩方が頑張ってくれたから今の俺がいるなと思えて、何かしら恩返ししたいっていうの気持ちがあって、復帰っ子仲間で結成した団体「結515」で、沖縄の貧困を無くすお手伝いをさせてもらっています。

仲座:僕は4つ下ですけど、復帰っ子は象徴的な年代なんで、その人たち動くと世間が注目しますよね。引っ張っていく原動力にもなるんだろうなと思うし。復帰って大きな節目だと思いますんで、その世代の人たちが動くのはいいなと思いますね。

金城:歴史も改めて勉強し直して、先輩たちがやってきたことを継承するというのは大げさですけど、背中見せられたらな、というのはありますけどね。

仲座:東京とか県外でお笑いやってたら、復帰ってただの感傷的な思い出にしかならないと思うんですよ。あらためてよかったね、ぐらいな感じ。でも沖縄で活動してて、それを表現するとなると「いい思い出だね」だけでは語れないと思う。それを考えられるっていうのは、地元で表現活動をしているありがたみを感じることができるなって思いますね。

金城:意味を理解した上で自分の考えとか行動が大事なんだろうなっていうのはありますね。


沖縄のお笑い界の現状は…
 

―四半世紀にわたり沖縄のお笑い界を見てきていますね。

金城:僕らが始めた頃は、沖縄のお笑いは焼け野原。お笑いポーポーが盛り上がった後、何にもなくなった感じの時だった。「沖縄にお笑いってあるの?」みたいな状況で、やる場所を探すのも大変でした。今は事務所も増えて、だいぶやりやすくなったという感じはありますね。

仲座:僕らが入った時は本当にそんな感じ。それから何年か経っていくと、「沖縄にもお笑いってあるよね」ぐらいまでは認識されてきました。そのうちに「FEC」とかの事務所名が認知されるようになり、それからだいぶ経ってきて、ようやく最近になるとコンビ名だったり芸人の名前だったりっていうのが浸透してきました。

金城:そうですね。

仲座:芸人の数も増えて、盛り上がってるねって言ってもらえることも最近は増えたんですよ。そう見えるのはとってもうれしいことだと思うんですけど、ただ、芸人がみんな幸せかって言うと、やっぱりまだまだなんで。

金城:それで食えてないですからね、正直。

仲座:芸人全員が、最低限これで飯を食えてるなという状態になってはじめてスタートかなという感じがするので。まだまだだなって思いますけどね。
 

2022年にやりたいこと
 

―新しい年の抱負は?

金城:本当にありがたいことに、護得久先生で仕事もいっぱいいただいているんですけど、ハンサムの金城としてもっと表に出たいですね。

仲座:僕は2021年に南風原町の観光大使にならせてもらって、より地元のいろんなことをやっていきたいなと思っています。それでYouTubeだったりライブだったりってやったりしてるんですけど、それをもっと地元に比重をかけられるような年にしたいなと思ってます。フットワーク軽く、地元でお笑いのライブを形作っていけたらなという感じですね。地元でやるとお客さんみんな見に来るんですよ。歩いて来れるから。那覇でやったら遠いって言うんですよ(笑)。僕らも、地元でやったら家からライブ会場まで近いし、ライブ会場から打ち上げ会場まで近いし、何もかも幸せ。だからそういうのを増やしていって、それだけで完結できたらいいなと。僕、将来は南風原ですべて仕事が完結できたらいいなと思ってるんです。那覇に行くのを「出張」って言いたいんですね。そういうことをやってきたいですね。
 



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