貝殻細工の世界へようこそ 貝がらの店 丸仲工芸 仲村弘子さん


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貝殻が素材のアート作り

貝殻で作ったシーサーを手に持つ仲村弘子さん。店内にはさまざまな貝の雑貨が並ぶ。商品は映画や写真集の撮影に用いられたこともある=本部町備瀬の「貝がらの店 丸仲工芸」 写真・村山望

本部町備瀬のフクギ並木を進み、広々とした敷地内に入ると「貝がらの店 丸仲工芸」がある。宜野湾市で手芸店を長年営んでいた仲村弘子さん(84)が生まれ故郷の備瀬で2003年にオープンした店だ。商品は仲村さんの温かい人柄とともに県内外の人たちに親しまれてきた。ものづくりが「楽しい」という仲村さんに話を聞いた

奥行きのあるスペースに足を踏み入れると、貝殻でできた置物やアクセサリー、装飾品が並ぶ。さまざまな色や形、大きさの貝殻を組み合わせて作った商品が所狭しと並ぶ様子は圧巻だ。

グルーガンで貝を接着していく仲村さん。さまざまな種類の貝殻を組み合わせて慣れた手つきで立体的に作り上げていく

本部町備瀬の「貝がらの店丸仲工芸」では、店主の仲村弘子さんが接着用の器具「グルーガン」を手に持ち、作品作りに励んでいる。「貝に合わせて作品ができ上がる。貝があれば何でも作れる」と話す。現在はシーサーの置物を制作中。色合いが異なる貝殻を一つずつ重ねて形作っていく。シーサー一対が完成するのに約2日間かかるという。

店内に置かれているのは国内外から仕入れた貝殻細工に加え、仲村さん手作りのオリジナル商品、県産を中心とする貝殻など。取り扱い数は数えきれず「どれぐらいあるか分からない」と笑う。そんな貝殻にあふれた仲村さんの暮らしが始まったのは今から約17年前のことだ。

人気のシーサーの置物。土台の木はフクギを使用している

故郷で一からのスタート

備瀬出身の仲村さんは20年前の2003年に夫憲一さんと二人の故郷に戻ってきた。義母の介護や晩年入退院を繰り返した夫の世話をする傍ら、3年後に自宅の庭先で貝殻の店を始めた。小さな露店のようだったという。「10年前にうちの人が亡くなった後、お金をためても何にもならないと思って、どんどん(スペースを)増やしていった」と話す。

以前は手芸店を35年間営んできた。旧コザ市(現沖縄市)で「ひろこ手芸品店」を7年間、結婚後に宜野湾市我如古で「なかむら手芸店」を28年間経営した。洋服や小物作りもできる仲村さんは、カルチャースクールや老人センターなどの講師も務めてきた。ハンドメードの人形「カントリードール」は注目を浴び、展示会を開催したり、本などでも紹介されたりしたという。

金魚鉢やガラスを使ったランプなども制作する

備瀬に移った当初は「(手芸店の)売れ残った商品を持ってきて店をやろうと思った」が、目を使う作業はネックだった。そんな時「貝殻屋さんをやってみたら」とおいに勧められたのがきっかけとなった。68歳からの再スタートに「最初はみんなに笑われた」と話す。貝殻は海岸などで自ら収集した。作品を作るにはさまざまな種類が必要になるため、自分で集めるには限界があった。「貝の卸屋さんを探すのに苦労した。名刺を持って、いろいろなお店に行って聞いて回った」と振り返る。

オープン後は県外からの観光客も数多く立ち寄るようになった。沖縄の海をイメージする貝殻のアイテムは土産としても好評で、十年以上にわたり来てくれるリピーターにも恵まれた。日本中の人と話をするのも楽しみの一つだ。

貝の魅力はたくさんあるという仲村さん。「どんな貝でも縁起がいい。財産に関する漢字は貝の字がついている。スイジ貝などは魔除けにも使われてきた」と笑顔を見せる。

一つ一つのステップ目標に

人気のフクロウの置物。土台の木はフクギを使用している

「作るのが楽しくて、仕事とは思っていない。趣味でやっているようなものだから高くも売らないし、きついとは思わない」。頭も使う貝殻細工作りは“脳トレ”にもなっている。

今後も楽しみながら続けていきたいという仲村さん。「25年には北部でテーマパークができるし、その後は首里城も完成する。お客さんがいっぱい来ると思うから、元気でいたい。一つ一つのステップがあれば生きがいにもなる」と話す。少し先を見据え、今日も店先で制作活動に励んでいる。

(坂本永通子)


貝がらの店 丸仲工芸

本部町備瀬599
営業日:不定休
TEL 0980-48-2757

(2023年7月13日付 週刊レキオ掲載)