沖縄のバンドマンが育つ“家” 「studio HYBRID(ハイブリッド)」の野望


沖縄のバンドマンが育つ“家” 「studio HYBRID(ハイブリッド)」の野望
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「studio HYBRID」代表のいっせーさん

 目の前に海が広がる那覇市東町に、数多くのアーティストを輩出した音楽スタジオがある。その名は「studio HYBRID(ハイブリッド)」。

 毎晩遅くまで多くの若者で賑わい、「自分たちにとってハイブリッドは家のような場所」と話すバンドマンも少なくない。

 「自分たち大人が、沖縄の若い子たちをもっと拾い上げていかなきゃいけない」と繰り返し語る代表のいっせーさん。自らもバンドマンとして精力的に活動する彼に話を聞いた。

やるなら今しかない 24歳でスタジオ立ち上げ

―さっそくですが、プロフィールを教えてください。

「いっせーと申します。那覇市東町で『studio HYBRID』という音楽スタジオの代表をしています。豊見城生まれ、那覇育ちです。」

―いっせーさんが音楽に出会うきっかけって何だったんですか?

「出会ったのは中学の時。春から同じ中学校に通うってことで仲良くなった近所の子がいて、家に遊びに行ったら『X JAPAN』のポスターやギターが並んでいて、興味を持ったのがきっかけです。その流れでギターを始めました。」

「学生の頃は引っ込み思案で、友達が少なくてバンドを組めなかったんですよ。ずっと1人でギター弾いていました。学校の人気者たちが学園祭でバンドをやっているのを見て、ずっとうらやましく思っていました。高2の時にライブハウスに足を運ぶようになって、同世代の子たちと仲良くなりました。学校とは違う自分になれて、より音楽に熱中できました。」

―『studio HYBRID』を作ることになった経緯を教えてください。

「24歳の時にこのスタジオを作りました。当時のバンドメンバーは10代からずっと一緒。それこそ夜中まで遊びまわるくらい仲良くて…。それが20代に入るとそれぞれ仕事を始めて、練習やライブの日にしか会えなくなって、なかなか集まれなくなっていったんです。」

「もう一度、みんな一丸となってバンドで上を目指そう、ということになって、そのためにメンバーとの関係性をもっと密にしていきたかった。僕の部屋をメンバーの集える場にしようって考えていたんだけど、『楽器弾いても迷惑にならない部屋がいいよね』っていう案がエスカレートして、『じゃあ、もう自分たちのスタジオを作ろう』っていう結論になった(笑)。」

スタジオに備えられているドラムセット

「作るとなるとお金もかかるんだけど、『スタジオを持つ』っていう夢は10代の頃から持っていたので、やるなら今しかないと思って国際通りに店を構えました。」

「当時はスタジオを経営するっていうよりも、身内で使うためっていう感じで始めたんですよ。

 だから、自分がカッコいいって思うバンドや仲の良いバンドとか、ぜひ使ってほしい人たちに声をかけて、利用者を集めていた感じですね。そうすると必然的にスタジオには良いバンドが集うことになった。そこが今でいう『ハイブリッドファミリー』の基盤になったのかも(笑)。」

「当時は沖縄バンドブームもあって、バンドマンたちにめちゃくちゃ活気があった。『上を目指す』っていう向上心であふれていた。そんな奴らばっかり集まるから、常に互いを意識していたし、店が閉まった後も残っていろんな話をしたり、何日間か泊まり込んだりするやつもいたし。」

 

「studio HYBRID」から巣立ったバンドのポスター。若いバンドマンたちの目標にもなる

―僕もハイブリッドにはそのイメージがありました。ただのお客さんとスタジオっていう関係性じゃなくて、出入りする人みんなが仲間っていうような密な関係性。その流れが当時からあったんですね。

「当時は沖縄バンドブームで、目の前にいる人がデビューして売れていくっていう事例がいっぱいあったし、それを横目で見ながら誰もが人ごとじゃなく本気で悔しがっていた。

 今は沖縄から売れていく人たちも少ないから自分とは関係ないと思うかもしれないけど、当時は目の前の人が劇的に変わっていく姿がリアルタイムで見られたから。その分、人のエネルギーも活発に動いていたんだけどね。スタジオに内地から音楽業界の人たちがゾロゾロと来たりとか。そんなのがいっぱいあったなぁ。」

 

「那覇は俺に任せろ」

日中はひっそりと佇むスタジオだが、夜になると多くの若者が集まってくる

―今後のstudio HYBRIDの展開について考えている事はありますか?

「ハイブリッド独特の『たまり場』としての特徴を保ちつつ…(笑)。経営的にもちゃんとお店を成り立たせたいなと…。両方のバランスを取るのが難しいけどね。たまり場にしすぎると、経営的には損しちゃうし。でも、いざという時に助けてくれるのがたまっている皆だったりするから、持ちつ持たれつではあると思うんだけど。でも、あてにはできないしね。

 昨年、クラウドファンディングでお金を募って、お店を大改修したんですよ。
 

「ハイブリッドは2016年4月からLD&Kっていう会社に所属しています。そこに所属する前に一度、自分の力で立て直しを図ってみようと思ってクラウドファンディングをやってみたけど、単純に怖かった。お金を集める理由が『ロックフェスをします!』とか大それたことじゃなくて、『お店を改修したい』っていう個人的なものだったから(笑)。」

「結果的に目標金額も集まって成功したんですけど、みんなからお金を募った以上、那覇のスタジオの中で代表格になってやろうと思ったんです。

 4年前にオズ※1を脱退した時に、MCで『那覇は俺に任せろ』って言ったんです。

 沖縄のシーンって各地にその土地を代表する人がいるじゃないですか。近い世代で言うと、コザにはODDLANDのユーちゃんだったり、SLUM BARのマーくんがいたりして。」

「じゃあ僕は那覇を代表する人や場所になりたいと思った。

 ハイブリッドに行けば仲間も集まって、設備も整っている、という場所にしたい。そして良いバンドはしっかりと世の中に広めていきたい。

 今まで『大人が助けてくれないかなー』と思っていたんだけど、僕もいい加減大人の年齢で、その立場になっていた。そんな流れから最近、音楽レーベルも立ち上げました。」

 

沖縄発のレーベルに

―本格的に音楽レーベルは始動しているんですか?

「本格的にはまだだけど、徐々に整ってきている段階ですね。第1弾としてヤングオオハラをリリースします。」

「レーベルはまずは沖縄中心でやって行きたいと思っています。今後の展開によっては母体のLD&K Recordsとも絡んで全国展開していく考えもありますけど、今は自分の目の届く範囲でやりたいと思っています。

 現時点で決まっているバンドは、ヤングオオハラとBUMBA※2、自分の所属するTHE WARSMANS※3の3バンドですね。」

―いっせーさんは現役のバンドマンでもあるんですよね。自らボーカルを務めるTHE WARSMANSの今後について考えているはありますか?

「全く未定(笑)。ただ、今の県内インディーズって中堅バンドがいないと感じていて。ただ、メンバーそれぞれの経験値は高いので、良い意味で若い子たちの見本になるバンドになれたらなと思ってます。」

「音楽性が好きか嫌いかはさて置き、『良い演奏するな』とか『パフォーマンス含めて良いライブするな』とか。オズでメジャーにいた経験も還元できるかなと思って…。上から目線ではなくて、いろんな経験をしてきた俺らだからこそできる見せ方っていうのを、若い子たちに知ってもらえたらと思っています。もちろん、自分たちのためにも今年はガツガツいきます。」

急成長の若手バンドは…

スタジオ内には県内バンドのポスターがずらり

―今、いっせーさんから見て面白いなって思う沖縄のバンドっていますか?

「BUMBAとオモイトランス※4が急成長していてすごくカッコいいのと、スタジオで直接見ているわけじゃないけどP-fam※5の動きっぷりは、県内の全バンドが見習うべきだと思うし…。でも一番良いなぁって思うのは、やっぱりヤングオオハラですかね。

 まだ本人たちも若いから、どうにかしてあげたいなと思って。さっきのレーベルの話に繋がるけど、彼らから『レコーディングしたいです』って依頼があったときに、ただ業務的にやるだけじゃなくて、しっかりとした1枚を作ってあげたいと思った。そうじゃないと夢がないと思って。彼らを見て年下の子たちが憧れを持ってくれたら、なお嬉しいし。

 第1弾でヤングオオハラをリリースする意味っていうのは、単純に彼らのためだけじゃなくて、沖縄のバンドブームを再来きっかけの1つになればと思っています。」

―そこまでしていっせーさんを虜にしたヤングオオハラの魅力って何ですか?

「まず単純にボーカルが良い。ぶっ飛んでいて自分には分からない感覚を持っていたから。ライブを見ていても、華があってロックヒーローの雰囲気が漂っているし、単純にもっと大きなステージに立っている彼らを見たいって思わせてくれる子たちなんですよね。」

 

バンドマンのローモデルに

「若い子にちょっとした目標をつくってあげたい」と語るいっせーさん

―今の沖縄の音楽シーンに対して思うことはありますか?

「『何で今の時代にバンドをやっているんだろう?』って最近よく思います。昔ほどブームでもないし、よっぽど好きなんだろうなぁって思うんだけど(笑)。僕がバンド始めた頃って流行だったのもあって『バンドはモテる!』っていう動機でみんな始めていたし、誰でも楽器を触りたくなるような理由があった。『バンド始めたらデビューできる!』とか明確な目標が身近にいっぱい転がっていたんだけど、今ってみんな何を目標にしているんだろうなって思う。だから、僕が思っていることは、そんな『ちょっとした目標を作ってあげたい』っていうことですね。」

「スポーツなら大会、勉強なら試験っていう分かりやすい目標があるけど、音楽って目に見える明確な評価があまりないから、『レーベルを作る』とか『イベントを開催する』っていうのは指標に繋がってくるかなって思って。若い子たちをどんどんフックアップしてすくい上げていきたいなと思っていますね。」

 


※1 オズ…沖縄出身の3人組ロックバンド。2006年結成。NARUMIの存在感ある歌声と力強いライブパフォーマンスが特徴。2015年解散。

※2 BUMBA…沖縄発“メロデックうぉううぉうバンド”。2016年11月Eggsレーベルより1st mini album「FRONTIA」を全国タワーレコードから発売。

※3 THE WARSMANS…沖縄在住“ワカゲノイタリロックバンド”。ヒーロー目指して奮闘中。2016年11月Eggsレーベルより1st mini album「W.S.M.S」を全国タワーレコードから発売。

※4 オモイトランス…POPでキャッチーなメロディーとは裏腹なエモーションな歌詞、そして見る人を巻き込むパワフルハッピーなパフォーマンスで県内を中心にガツガツと活動中の沖縄県産ガールズロックバンド

※5 P-fam…読谷発、POPな歌詞をROCKに乗せて3つの声で歌うエンタメ系バンド。2015年の本格始動開始直後から県内の各イベントに参加。2017年度はPEACEFUL LOVE ROCK FESTIVALや沖縄国際映画祭への出演も決定。12月9日にはミュージックタウン音市場にてワンマンライブの開催が決定している。

― プロフィル ―

いっせー

『2000年前後の沖縄インディーズ全盛期をリアルに体験し、2003年にstudio HYBRIDを設立。

自身もかりゆし58のサポートギタリストなどの経験を経て、2010年にオズでメジャーデビュー。

オズを脱退後、本格的にスタジオを拠点として地元沖縄バンドマンの若手育成などに力を入れる。

また、新バンド「THE WARSMANS」ではボーカルを務め、発売したシングルはタワーレコード那覇りうぼう店での週間売上チャート1位を獲得。

2016年11月には全国流通のミニアルバムを発表した。

表舞台に立ちながらも、裏方としてレコーディングエンジニアからグッズデザイン、イベント制作、その他さまざまな雑用までこなすスーパー器用貧乏である。』

HP:http://www.studio-hybrid.com/
Twitter:https://twitter.com/issay_wsms

 

 

聞き手・野添侑麻(のぞえ・ゆうま)

 音楽と湯の町別府と川崎フロンターレを愛する92年生。18歳からロックフェス企画制作を始め、今は沖縄にて音楽と関わる日々。大好きなカルチャーを作っている人たちを発信できるきっかけになれるよう日々模索中。沖縄市比屋根出身。