「男子」「女子」で分けられると苦しいよ【レインボーハート】

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僕が生まれたのは岡山県勝北町(現津山市)、人口7千人程度の田舎で、実家は酪農家です。伊江島が人口約5千人ですから、伊江島の酪農家に生まれた息子のようなもの。それでゲイだったわけですから、その大変さはある意味、想像に難くないのではないでしょうか。

小さい頃から女子の輪にいるのが楽だった僕でしたが、小学校高学年くらいからいろんな壁が待ち受けていました。最大の壁はソフトボールチーム。僕の小学校では高学年生はソフトボールチームに入ることが必須でした。

僕は男子スポーツ独特の厳しさに全くついていけませんでした。コーチは「ボールを逃すな! 胸に当てて取れ!」とスパルタ指導。同じグラウンドで女子チームも練習していましたが、あっちのチームは楽しそうだなあ、あそこで女子と一緒にボール拾いをしたいなあとうらやましく思っていました。


最初は練習に耐えていたものの、本当にきつくなったある日、僕は父親に辞めたいと相談をしました。しかし父親からは「周りの男子はみんなやっているんだから、清文もやりなさい」という答えでした。「周りの男子はみんなやっているんだけど、でもきつい」その気持ちは誰も分かってくれず、一人ぼっちでした。


女子と遊ぶのが大好きだった小学校の頃の僕

親に言っても駄目なので、最終手段でさぼったこともありました。その日は近所の同級生の女の子と河原に行ってままごとをしていたのですが、間が悪いことにその日に限ってソフトボールチームがその河原近くをランニングで通り、みんなにばれてしまったのです。

さぼりもばれ、女子と一緒にままごとをしているのもばれたのです。しかしチームのメンバーはクラスメイト。みんなに笑われ本当に恥ずかしく、30年近く前の出来事ですが、当時の映像は今でも鮮明に心に浮かんできます。

男子だからと男子チームに入れられたがなじめず、親に相談したけれどもやめてはいけないと言われ、子どもの最終手段で逃げる。それでもばれてしまい笑われる。僕の居場所はどこなんだろうと田舎の少年だった僕は一人ぼっちの気持ちになりました。

今「周りと違っても大丈夫!」というタイトルの学校講演会をしていますが、実はこの言葉は当時の僕に対するものでもあります。誰にも相談できず耐えるしかなかった自分に、もし今の僕が声をかけてあげられるとするならばと思って選びました。

今でもきっと、小学生の頃の僕と同じような気持ちで周りと違って悩んでいる子どもはいると思っています。一人ぼっちで寂しく耐えるしかない子どもにこのメッセージを届けたい、それが学校講演活動の原点です。


(2018年12月4日 琉球新報掲載)


 たけうち・きよふみ 岡山県津山市出身、沖縄県在住。レインボーハートプロジェクトokinawa代表。LGBTをテーマに学校講演会を数多く行う。

 



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