消された売春街で生きた人々 「沖縄アンダーグラウンド」著者・藤井誠二さんインタビュー(上)

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ノンフィクションライターの藤井誠二さんは長年、売春街「真栄原新町(沖縄県宜野湾市)」を歩き、街で生きた人たちの声を拾ってきた。新著「沖縄アンダーグラウンド」(講談社)は、沖縄県警と市民団体等による「浄化」運動で消された「近い過去」と、米軍占領に端を発してできた街の「遠い過去」を丹念に記録したルポルタージュだ。街で生き抜いた人びとを通して見えた過去の犠牲と差別の構造、現代に連なる排除の思想、しんどさの中にある人たちとどう向き合えばいいのか、藤井さんの思いを聞いた。

(聞き手・琉球新報文化部 新垣梨沙)


藤井誠二さん


不可視の存在



-真栄原新町を取材しようと思ったきっかけは。

2010年前後に『浄化』運動が始まった時に、地元紙では運動だけが粛々と進んでいるという報道しか基本的にはなく、浄化しようとする人たちの理屈がよく分からなかった。どういう人たちがどういう思いで、この街はなくした方がいいと思ったのかを知りたかった。『浄化』される側の意見もほとんど拾われておらず、それに非常に大きな背中を押された。僕は記録者であるし、観察者であるので、そこに何もあたかも存在しないかのように扱われたりとか、不可視のように扱われている人がいる場合は書かなきゃという気持ちが強くなる。実際に取材に入っていくと、いろんな女性がいて、お年寄りもたくさんおられた。中で生きている人たちの肉声、リアルな街の息づかいに触れ、これは伝えなければいけないと感じた


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-働く女性にはどのような背景が見えたか。

100%シングルマザーで、ほとんどが親や親戚縁者、助け合えるような人間関係からも切れている、かなり孤立した状態の方が多かった。当然、この仕事をしていることを隠している人が多かった。沖縄の女性では、お金が足りないからとバイト感覚で始めて、昼の仕事から夜に完全に移行したという女性も多かった。でも、そこが稼ぎが高いかというとそうではなく、ほとんど体も心もぼろぼろになってしまうような過酷なセックスワークだった。心身を壊した方もかなり多く、長く続けてきた人ほどそうだった。

自傷行為としてばさばさ髪を切る人も少なくなかった。リストカットの傷痕が腕の付け根から手首まで無数に入っているという人も多かった。借金を返すために働いている女性が多かったが、真栄原新町や吉原でのセックスワークがストレスになり、雇い主や客とのトラブルなど嫌なことが続くと精神的に追い詰められたら髪をめちゃくちゃに切ったり、リストカットをするんだと。



-「追い詰められたら切る」とちゃんと言葉として聞き取ったんですね。

彼女たちも標準語でしゃべってくれたが、沖縄の言葉で表現するともっと強いニュアンスの言葉だったかもしれない。本の中で書いた、売春女性を取り上げた1970年公開のドキュメンタリー映画『モトシンカカランヌー』の主人公アケミさんのことも取り上げたが、島クトゥバに詳しい友人に聴いてもらったが、スラングのような言葉を使っていた。自分の過去を振り返り、誰かを侮辱する言葉だったり、自分自身をなじるような言葉を吐き捨てるように使っていた。精神が荒れ、そういう言葉を使いたくなる状況も多かったのだと思う。


現在の真栄原新町

『ちょんの間』ってひどい労働条件だということがわかった。借金が減らない仕組みになっている。そこで共倒れしたりさらに借金したりしている。困っている人たちも少なくなかったが、バレるとか恥ずかしいからと行政に相談に行けない。知られちゃうから友だちにも相談しに行かないってことを取材して知りました。

だから、その人たちが相談に行ける仕組みつくってほしいと思うし、そのためには、具体的になるが、もっと地元のコミュニティーから離れた人たちを相談員にした方がいいと思う。秘密やプライバシーの保護のためにも。そうじゃないと安心して相談にいけない。カウンセラーも含めたワンストップサービスを貧困問題の対策として打ち出してほしい。シングルマザーの子育ての問題は劣悪な環境の売春の問題とつながっています。あと、そういった本人が抱える問題を否定しないこと。昼間にちゃんと働きなさい、とか、売春はいけないことです、などと非難や否定をしちゃだめです。まずは受け入れて本人が何を望んでいるのか、本人の環境のどこに問題があるのか。恋人や夫にDVを振るわれているケースも多いので、それに介入する処置を含めて対応していく必要があります。人はいきなり相談相手に否定されると、途端に話せなくなってしまう。



「浄化」推進者



-「浄化」運動をした人たちからも話を聞いている。

人間に対して『浄化』って言葉を使うのは高圧的だと思った。実際に、運動をしている女性団体の事務所をアポなしで訪ねてみると、平和運動に熱心に関わっている人たちだった。こうした運動をしている人たちはもっと地元と対話をして、街を変えていく運動をしているのかと思っていた。

人権とは普遍的なもののはずだ。基地がある沖縄の中で女性たちは米軍基地によって生存権を脅かされていると主張しているが、一方で真栄原新町や吉原という街の中で生きてきた女性の権利は、権利どころか人間として侮辱の対象になっていた。そのねじれに最初は驚いた。

-映画「モトシンカカランヌー」の舞台をたどる中で、共同監督の1人、今郁義さんにインタビューしている。沖縄に駐留していた反戦黒人兵たちが「日本で反戦や反基地などの平和運動をしている人たちは売春婦の声を聞くべきだ」と話していたというエピソードがあるが、その言葉はとても印象的だった。

当時、駐留米軍の中にも革命による黒人解放を掲げるブラックパンサー党の党員がいた。「モトシンカカランヌー」を撮った今さんたちはこの党員の黒人兵と議論を交わしているが、そのシーンがとても印象的だ。黒人解放運動のメンバーから見ると、沖縄で売春をしている女性たちが、同じ被差別の立場として見えたんじゃないかと思う。そこに存在するという人の生き様というか、どんな方法でもそこで生き抜く存在の圧倒的な強さを、沖縄の人々も県外から沖縄の反基地闘争に参加していた人々もどう感じるかということだと思う。今回の『浄化』運動をした人たちは、道徳的な意味で売春は良い悪いとかしか考えていなかったと思う。子どもの教育に悪いとか、地域環境が悪いとか。

-その点はメディアの反省も大きいと思っている。どう感じているか。

戦後直後の新聞は復帰前まで、売春している女性たちに対する偏見や差別のニュアンスを含みながらも記事にしていた。表現等は問題だったが、存在として取り上げてはいた。でも今はそれすらもない。県外から送り込まれてくる女性は人身売買ともいえるような半強制的なセックスワークを借金返済を理由にさせられていたり、仕方がなくやらされていた。沖縄の女性たちの生活背景はほぼ貧困問題と表裏一体で、街が消えた今でも他の特殊飲食店街(特飲街)や、派遣型などの地下に潜った女性たちはたくさんいる。みんな昼間の給料だけではやっていけないから、または共同体から切り離されたからそこに行くという子は圧倒的に多く、今の沖縄の一つの重大な問題が凝縮されている。その問題を県内のメディアはちゃんと取材して伝えてほしい。
 



犠牲と差別



―同書には、米兵が加害者となったレイプ犯罪の記録も一部分だが盛り込んでいる。「遠い過去」をたどる中で、一般住民を米兵の性暴力犯罪から守る「性の防波堤」として街がつくられた歴史をどのように捉えるか。

何かを守るために何かを犠牲にするのは、ゆがんでいる上に間違っている。なおかつ効き目がないと、『基地・軍隊を許さない行動する女たちの会』共同代表の高里鈴代さんもおっしゃっていた。それは僕も基本的に賛成だ。その議論は本土の他の地域のRAA(連合軍向けの慰安所)と同じで、米軍への性的接待とそれに乗っかる商売という方が本当は本音で、女性の人権よりも米兵が落とすドルなどの基地経済を重要視していたのだと思う。

-同書には、戦後、夫を亡くした沖縄の女性たちが1人で子どもを支えていくために体を売っていたことも触れている。

男の人が死んだので、女の人が1人で商売をしていたケースが多かった。米兵による性犯罪も日常茶飯事だった。レイプや殺人は米軍が駐留したところには頻繁に起きている。沖縄は占領が長かったので、アメリカが傍若無人に振る舞った時間は27年に及んだ。米軍がジープで集落の女性を襲いに来るのをやめさせようと、買春できる店を1カ所にまとめようという議論が当時の『性の防波堤』だった。当時は、政治家も新聞社も世論を二分するようなその議論を大まじめにしていた。それを知り驚いたが、逆に言うと、それくらい米軍のあらゆる暴力はひどかったと言える。

-沖縄は県外から差別をされてきたが、その沖縄の人たちの中にも別の差別が存在したと指摘している。

60年代当時、実際に沖縄で売春をしていたのは、出稼ぎに来た奄美の人だったり、宮古の人だったり離島の女性たちだった。特に奄美出身者は、沖縄の人たちから『大島』と蔑称で呼ばれ、差別的な視線を送られてきた。沖縄の人は、本土では同様の視線を向けられることが多かったが、内部では奄美出身者を差別する二重の差別の構造があった。取材を続ける中で、当時の離島と沖縄の関係性みたいなものも見えてきた。  

(下)に続く。
売春街から見える沖縄戦後史 「沖縄アンダーグラウンド」著者・藤井誠二さんインタビュー(下)
https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-858393.html



【著者プロフィル】 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。教育問題、少年犯罪を数多く取材し、犯罪被害者遺族の支援などにも携わる。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」(小学館新書)、共編著に「死刑のある国ニッポン」(金曜日)など多数。



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