売春街から見える沖縄戦後史 「沖縄アンダーグラウンド」著者・藤井誠二さんインタビュー(下)


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『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』(講談社)の著者で、ノンフィクションライター・藤井誠二さんへのインタビュー最終回。長年、教育問題、犯罪被害者遺族の支援・取材を続ける藤井さんが、シングルマザーをケアしていく施策の必要性や犯罪被害者遺族を取り巻く沖縄の現状について語りました。

(聞き手・琉球新報文化部 新垣梨沙)

消された売春街で生きた人々 「沖縄アンダーグラウンド」著者・藤井誠二さんインタビュー(上)はこちら

藤井誠二さん

街=戦後史

-話しづらいことを街の人たちがこのように語ってくれたのはなぜだと思うか。

街がなくなるタイミングによく分かんない物書きのおっさんが内地から来た、というふうに最初は見られていたと思う。だって、中(地元)は狭いからすぐに自分たちの出自等がわかっちゃうじゃないですか。中の人だと『どこどこのだれだれね』『同級生ね』みたいに言われてしまう。一方でヤマトのライターがどういう風にこの街のことを書いて消費するんだろうかという疑念もあったと思う。やっぱりそこの説明が一番大変で、僕自身の言葉でどう説明してどういう信頼関係を築けるかに一番心を砕いた。

特に沖縄の年配の人は、沖縄の戦後史の一つの断面というか、流れとして捉えていた気がする。特飲街は時代時代によって街の様子も違うわけだし、沖縄の戦後からは外せない要素だったわけだけど、それを外から来た人間が興味を持つということに関して、協力してくれたのは、街自体が大事な戦後史だという意識があったからだと熱心に取材に答えてくれた人たちからは感じた。

街の話や仕組みを話してくれながらもみな自分のことを話すんですよ。『自分はこうやって生きてきた』『戦後はこんな風だった』『沖縄戦はこう生き延びた』と。一生懸命話してくれるんですよね。中には、戦後の沖縄がいづらくなって、いったん県外に出た人もわりといた。アウトローみたいなことを県外でして帰ってきた人も多かったし、内地を転々として沖縄へ帰ってきた人も多かった。個人の戦後史と街の戦後史を一生懸命語ってくれた。個々人の自分史はあまり詳しくは書いていないが、自然にそういう話になる。売春宿の年配の経営者方々とか、街の土地の所有者とかね、非合法であることはわかっていながらも、戦後を必死で生き抜いてきたという思いがあったと思う。若い世代は知らない話だと思う。60歳以上の人はわりと積極的に話してくれた。
 

イメージ。本文とは関係ありません

-今まで聞かれてこなかったことだから、話したいと感じたのだろうか。

聞かれたとしても話せなかったと思う。それが今回浄化運動でなくなりつつあるから、この際、きちんと正確に記録で残してほしいと必ず言われたので、今までは話せなかったことを話してくれたのだと思う。新町とかでも。みな最初は「浄化運動」に対して反対運動や抵抗をやっていたそうです。警察にみんなで陳情に行くとか、警察車両が細い道に入って来ると、ばんばんと車のボンネットたたいたりして。警察は宜野湾署なんかは建物を借りて内偵も入れて、県警挙げての運動だった。
 

警察の闘いの歴史

-県警と宜野湾署に話を聞いて感じたことは。

沖縄の警察官はよくしゃべるなという印象を受けた(笑)。普通は聞かれたこと以下というか、必要なことしかしゃべらない。だが、県警も宜野湾署の署員もよくしゃべっていただいた。目的を遂げたという達成感がまず一つあると思うが、必ず署長レベルになると歴史の話になる。『昔、ここは米兵のためにできた街でね、そこであったのは知っているよ、でもこれは時代の流れでね、生きていくためにやっていたことだと知っているよ』という言葉が出てくる。一定年齢の人だと、警察官でもそういう歴史を踏まえてしゃべるのに少し驚いた。

本の中でも少し書いたが、戦後は米軍の事件が起きて村や集落が襲われたときに警官が行くわけでしょう。米兵に撃たれて殉職したり、格闘になって大怪我をさせられるのが当たり前で、MP(ミリタリーポリス)の方が当時は権限も上だし、事件もアメリカにもみ消されてしまうことに悔しさとかを感じてきたはずです。

自分たちは街を取り締まる側、当時は『パンパン(売春をする女性の蔑称)狩り』なんて言い方をしていたが、取り締まる側と同時に、村や地域を米軍から守る立場で、両方のところで沖縄の警察というポジションがあったんじゃないかと思う。だからよくしゃべるし、語りたいし、本音ではあまりみんな街のこと憎んでないと感じた。売春街の人に対して、『あの人うるさくて大変でさ』『おばあさん大丈夫かな』『でも、あのおばあさん言っても聞かないんだよね』とか心配すらしていた。その愛憎入り交じるというか、どこか親しみを入れながらしゃべるところに沖縄の歴史の一端を感じた。

何十年も(街を)野放しにしてきたと批判されるから警察は言われたくないかもしれないが、そういう意識がたぶん根底にあって、それがイコール沖縄の戦後史がまだ連続していることを僕は感じた。

現在の真栄原新町

-警察も「浄化」という形で取り締まりはしたが、街で生きている人たちのことをしっかりと理解していたということか。

理解というより仕方なく黙認してきた部分はあったと思う。歴史的な背景を考えると。警察官は絶対にそうは言わないだろうけれど。米兵が起こしたいろんな事件とかいろんな事件が記録してある戦後の沖縄警察のことをまとめた分厚い本をぱらぱらとめくっていると、やはり米兵から沖縄県民を守る役割があった。米軍と一般の取り締まりがあり、そのあたりは他の都道府県警とは歴史が少し違うと感じた。悲惨きわまる沖縄戦があって、沖縄の戦後があって、占領されてきた中で警察だって辛酸をなめてきたと思う。単純に売春は違法だからなくしてしまえという感覚だけではなかった気がする。もっと複雑だと思う。これはぼくの妄想にすぎませんが。

むしろそういう話で行くと、平和団体のほうが無機的で、ものすごく断絶を感じた。警察官の方がよほど温かく、真栄原新町の人たちは感じたのかもしれません。行政は浄化運動を担った市民運動の人たちとデモ行進をやったけれど、外の団体ばかりだったと聞きました。地元の人たちはいなかったと。『沖縄の恥部』と蔑んだのは、この街と直接的にはほとんど関わりのない人たちだったのではないでしょうか。
 

幻想の「ゆいまーる」

-断絶という点で言うと、10代の子どもたちやしんどさを抱える親を取材する度、親族とも社会とも切れているという方が多いと感じる。そのたび、沖縄の「ゆいまーる」は幻想だと痛感する。

これまで沖縄で犯罪被害者のご遺族の取材を多くしてきて、被害者の会の世話人的な活動もしてきた。1996年に大阪で少年犯罪被害当事者の会が数家族で発足したが、そのうち2家族が沖縄のご家族だった。沖縄ではそういう話をしても関心を示してもらえないからと大阪に行く。沖縄では犯罪被害者遺族の存在が気に留められることが皆無に近く、行政にも民間にも受け皿がなかった。

そのご遺族が『沖縄では泣けないから内地に泣きに行くんだ』と言っていた。地域で育って事件のことを荒立てると、白い目で見られたり変な噂を立てられたりする。被害者よりも共同体の「調和」を優先してしまう文化が、逆に犯罪被害者遺族を苦しめていた。だから、東京や大阪の弁護士を頼んだりとか、一緒の境遇の人と横のつながりを求めて県外で運動して少年法改正などの動きに直結していった。最近ではほんの少し変わってきたが。

-これまで取材をした10代の子どもたちや親の多くは、学校に行けなかった、または学校から排除されていたという人ばかりだった。街で働く女性たちはどうだったか。学校から離れていると感じたか。

それはとても感じた。多くの人が学校にあまり行けていなかった。友達が夜不良と付き合いだして一緒に遊ぶようになって、家によりつかなくなって学校にも行かなくなって、というパターンは少なくなかった。いったんアウトローの世界に入ると、沖縄は先輩後輩の縦関係が絶対的だから、今の若い世代の人間関係が固定化してしまって、がんじがらめになっていることが多かった。そしてその子どもたちが下層として固まってしまう傾向が強いと感じた。それを否定はしないが、抜け出そうとしている人にとっては苦しい環境だとも思う。

沖縄は若年出産が全国でトップクラスで、その子どもたちがそれを理由に学校を離れてしまうのではなく、学びの場を保障するというのが先決で、例えば、学校の中に託児所をつくるのが一番いい。子どもが生まれたら、子どもを育てながら10代の子が学べる仕組みは海外にはあるが、日本は後進国。いまだに妊娠を悪しきこととしてみるのはとんでもない人権侵害だと思う。
 

(イメージ)

性は覆い隠すものなのか

-少し古い調査だが、2013年に県が乳幼児健診を元に家族形態を調べたところ、10代の母の3割がひとり親だった。

沖縄は若年出産や離婚も全国トップクラス。そうした状態で社会に放り出されたシングルマザーをケアしていく施策をロールモデルとして沖縄の自治体がやるべきだと思う。自治体が制度設計すると同時に、そうした現象を悪いことだという視線で見ないという目線の部分でもそう。これは沖縄に限ったことではないが、10代で子どもを育てることを反道徳的だと社会は見ている。今回の浄化問題と同じで、性の多様性というものを覆い隠し、一般社会からズレているケースを排除したいということでしょう。その発想を大人が変える必要があるが、でもなかなか変えられない。それを行政が率先して旗をふって変える試みが大事です。『若くして子どもを産むことは悪いことではない』という目線で、でもサポートやケアをしながら子どもを共に育てていくことはとても大事なことで、行政やNPOが音頭を取れば少しずつ変わってくると思うし、当事者がエンパワメントできるメッセージになる。

実際に苦しんでいる子どもたちがいるということを直視して優先順位をつけなければいけない。男性のDVの問題も同じで、教育でしか変えられない。非暴力の問題も学校で扱うべきですが、学校の役割が増えるので大変な作業だと思う。成人式のカンパ強要に見られるような理不尽な先輩後輩の関係にももっと大人が介入をするべきだと思います。そこから人の命が奪われる事件に発展してしまった事件をいくつも取材している。

-出版直後、沖縄の人にどう読まれるのかが気になると話していた。

沖縄の人にも読んでもらいたい気持ちも強いが、県外の人にも読んでもらいたい。基地があるリアルの一つというのは、日常生活のレベルでは米兵の性犯罪を含めた蛮行が続くという現状です。数は減っても、そういった恐怖感が多くの沖縄の身体にまとわりついてしまっている。恐怖が当たり前になっている状況というのは変えなきゃいけない。米軍基地と無理やり共存させられる側の恐怖は、沖縄の外側にいる私たちにとって不可視のままであっていいはずはない。県外の人は他人事程度にしかとらえていないのではないか。
 

【著者プロフィル】 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。教育問題、少年犯罪を数多く取材し、犯罪被害者遺族の支援などにも携わる。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」(小学館新書)、共編著に「死刑のある国ニッポン」(金曜日)など多数。