琉球の花嫁たちに愛された婚礼リング 色あせぬデザイン性とストーリーを継承する匠の技


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受け継がれた道具 使い続けたい

金細工(くがにぜーく)またよし 
又吉健次郎さん 宮城奈津子さん

又吉健次郎さん(右)と宮城奈津子さん。又吉さんの愛犬で看板犬のカンスケも一緒に 写真・村山 望
房指輪(ふさゆびわ)。縁起物の7つの飾りには一つ一つに意味がある
髪を飾るジーファー(かんざし)

女性の分身ともいわれるジーファー(かんざし)、琉球王朝時代の婚礼指輪「房指輪(ふさゆびわ)」、2人の絆を表現した「結び指輪」――。琉球王朝時代の装飾品を作り続けているのが「金細工(くがにぜーく)またよし」の7代目、又吉健次郎さん(88)だ。代々受け継がれてきた道具で金細工を作る又吉さんの傍らで作業するのは弟子の宮城奈津子さん(39)。2人は昔ながらの金細工を作り続けている。

金づちを打つ又吉健次郎さんと宮城奈津子さん。リズミカルな音が工房に響く

首里城のほど近くにある工房「金細工(くがにぜーく)またよし」。琉球王府の命で中国に渡ったのが又吉家初代。その技は7代目の又吉健次郎さんへと受け継がれてきた。現在、跡継ぎを託された弟子の宮城奈津子さんが共に伝統の金細工を作っている。

500年以上の歴史を持つ金細工だが、廃藩置県や戦争で一時途絶えていた。復活させたのは又吉さんの父で6代目の誠睦さん。戦後、兵隊相手に指輪などを作って生計を立てていた時、民藝運動の中心人物として知られる陶芸家の濱田庄司や版画家の棟方志功らと出会った。「琉球人に返ってくれ」。濱田庄司の一言に触発され、金細工の復元に尽力した。

もともとラジオ局などで働いていた又吉さんは40歳で父と同じ道に進んだ。「親父の代で終わったら道具はどうなるのか。使わなければ何も意味がない」。代々受け継がれてきた道具への思いが金細工作りへと駆り立てた。

時代は変わるが形は変えない。つち音も父のものと同じだ。又吉さんにとって金細工は「自分の作品ではなく、琉球の文化。音も僕のものではなく古代の音。この音を親父はどう思って聞いてくれているのかいつも気にしている」と話す。

琉球の文化を残す

今、又吉さんの傍らで同じつち音を響かせ金細工を作るのは弟子の宮城奈津子さん。又吉さんの後継者だ。愛知県出身の宮城さんは、結婚を機に沖縄に移住。約10年前からこの工房で修行をしている。

多摩美術大学で金属工芸を学んでいた経験を持つ宮城さんは、働いていた民芸品店で金細工と出合った。「こんな美しく意味のあるものがあることを初めて知ってひかれた」と話す。

又吉さんが宮城さんに後を託そうと思ったのは、一度も自己表現に走ることなく、伝統を尊重する姿勢を見てきたから。「自分の『作品』を作りたいと思うのはごく自然なこと。でも、そこに自分を入れたら、別物になっていく。彼女は自分を前面に出すことなく、僕と同じリズムで同じ伝統の形を作っている。同じ物を作り続けるのは大変なこと」

二人が金づちを打ち始めるとリズミカルな音が鳴り響く。「ピアノの連弾みたい」と又吉さんは例える。「音を隣で聞いていたら分かる。この音だったら大丈夫。うれしいですよ。次の世代を彼女に作ってほしい」とほほ笑む。

又吉さんが父から受け継いだ道具
遊郭の女性に贈られたという結び指輪

弟子へ継承される志

ショールームに展示された金細工の数々

後継者という立場に宮城さんは気負いはない様子。目標は「ただ、これまでやってきたことをそのまま続けていくこと」と自然体だ。

この工房の房指輪とジーファーは、安室奈美恵さんに贈られた県民栄誉賞の記念品に選ばれ、注目を浴びた。「金細工を評価してくれたのがうれしかった。純銀は腐食しないものだから安室さんの家系に代々残ってほしい」と話す。

工房を首里石嶺から崎山町に移転して1年が経つ。かつては、多くの金細工職人が首里城近くに工房を構えていた。「帰るべきところに帰ってきた、親元に帰ってきたような気がする」という。

伝統を守り続けてきた二人。今日もこの場所で、古代と同じつち音を奏で、未来に残る伝統を作り続ける。

(坂本永通子)

金細工またよし

那覇市首里崎山町1丁目51
9時~17時半 日曜定休
☎️098-884-7301
https://www.kuganizeiku-matayoshi.com/

(2019年7月18日付 週刊レキオ掲載)