『時代を超えた くねくねガードレール』【古写真から読みとく当時の街の姿 Okinawaタイムマシーン航時機】


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同じ場所で撮影したタイムスリップ写真から変貌を読み取る。
レンズを通して見る街並みや建造物は、当時の生活や世相を映す鏡。現代にも息づく街の魅力とパワーを再発見しよう。

大里城趾公園は、島尻地域の東半分を治めた島添大里按司の居城址(あと)。先の大戦では日本軍の陣地が置かれ、米軍の攻撃目標になるなど不遇な時代も経験してきましたが、1961年に情勢は一転します。米軍の資材供与を受け、展望台が設置されるなど公園として整備されることになりました。

展望台を造ることは「観光地の第1歩!」と言うことなのか、1960年代には各地で展望台が造られていたようです。モノクロ画像の展望台は、そんな風に造られてから10年も経ってない頃のもの。現在の展望台は新たに造り直されたもので、少しだけ背も高くなっているようにも見えますが、そこからの眺めは昔と変わらず知念半島から中城湾を経て勝連半島までを一望。湾曲した海岸線がパノラマ感を強調するのか、見ごたえのある景観が楽しめます。

1975年の展望台と、1960年代に造られたガードレール

公園内には新しく他の施設も整備されていて、あか抜けた心地よさのある公園に生まれ変わりましたが、実は60年代当時のままのものが唯一残っています。それは展望台の周りにあるコンクリートで造られたガードレールのような囲い。

複雑な岩山に合わせて造られた囲いは、大蛇のようにクネクネと施工されており、古い8ミリフィルムにも印象的に撮影されていました。こんな足場の悪い所に、こんな複雑な形状の型枠を作ってコンクリートを流し込んだのかと思うと、施工した職人たちの苦労が偲ばれます。現在は植物が成長して囲いの全貌は見えづらくなっていますが、足を運ぶ機会があれば、ちょっと注目してもらいたいポイントですね。正直、城趾公園の裏のシンボルとしていつまでも残しておいてほしいとすら思います。

2021年の大里城址展望台と、現在も残るコンクリートのガードレール

 


 

執筆:真喜屋 勉(まきや つとむ)

沖縄県那覇生まれの映画監督であり、沖縄の市井の人々が撮影した8ミリ映画の収集家。沖縄アーカイブ研究所というブログで、8ミリ映画の配信も行っている。

https://okinawa-archives-labo.com/