その人らしさ 写真に残す 日光写真館


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

創業64年の町の写真館

店内のスタジオでカメラを持つ仲嶺真弥さん(右)と息子の真揮人さん。真弥さんは県写真文化協会の会長などのほか、専門学校の講師も務めている=与那原町与那原の「日光写真館」 撮影・村山望

卒業証書を手にジャンプする高校生、バットやグローブを持ち、ポーズをとるソフトボール部の仲間たち……。与那原町にある日光写真館には生き生きとした写真が飾られている。同館はスタジオ撮影のほか、ロケーション撮影、出張撮影などを手掛ける創業64年になる町の写真館。モデルの個性を引き出す写真が好評だ。創立以来、人生の節目をレンズ越しに見守ってきた。

日光写真館は1958年に、先代の故・仲嶺真盛さんが創業し、息子の真弥さん(57)へと受け継がれてきた。6人きょうだいの末っ子で長男の真弥さんは、当初は写真に興味はなかったという。

初代の故・仲嶺真盛さん
初代の故・仲嶺真盛さんの使用していたカメラ

真弥さんが写真の道に進んだきっかけは「目標がなかったので、自然の流れで」と笑う。高校3年生になり、進路を決めかねている時、父・真盛さんに『やることなかったら写真の学校に行ってみるか』と遠慮しながら言われ、神奈川県の写真の大学に進学した。

卒業後は内地で修行していずれ戻ればいいと考えていた中、大学2年生の時に状況が一変。写真館を支えていた母親のヨシさんが58歳の若さで他界し、父親も体調を崩してしまう。

「いきなり崖から落とされたようだった。考える暇もなく、大学を卒業後に働き出した」。しかし、大学で学んだのはカメラの仕組みやフィルムの構造など、物理化学系の内容。撮影の経験もほとんどなかった。父親も母親の死後から3年後に61歳で他界したため、撮影技術は県内の同業者に頼み込み、習得した。父の代からのスタッフや一緒に働いていた姉たちにも支えられたという。「苦労はありすぎて忘れた(笑)」という真弥さんだが、支えてくれた人たちの「恩は忘れることはない」。

動きのあるスタイルを確立

「動きが得意な写真館」とうたう日光写真館。そのスタイルの原点は2007年、中学の仲良しグループの高校卒業記念写真だ。撮影の際、店内にあったティアラを頭に着けたりする自由な姿を見て、「この子たちの個性を殺したくない。この子たちらしさをそのまま撮りたいと思った。結果的に動きのある写真になった」という。ちょうど、これまで使っていた大きいカメラに代わり、手持ちで動きながら撮れるデジタル一眼レフカメラを導入した時期とも重なった。真弥さんが撮影した写真は、業界の写真コンテストで多数受賞するなど、県内外で評価を得た。

原点となった高校卒業記念の写真「卒業だイエ~イ!」(真弥さん撮影)
ソフトボール部の高校卒業記念の写真「青春」(真弥さん撮影)

3年前からは次男の真揮人さん(30)が東京で修行を積んだ後、写真館に加わった。3代目としての覚悟を持って精進している。バンド活動や看護師を経ての転身だ。初めはカメラに全然興味がなかったが、「実家が写真館なのにカメラを触ったことないのは恥ずかしいと思い、1回だけでもと体験したら、はまってしまった」とほほ笑む。真揮人さんは今年挑戦した業界の写真コンテストで受賞。その作品は父のように動きのある写真だ。父・真弥さんは「彼の新しい発想は殺さないようにしていきたい」とこれからの活躍に期待する。

撮影はコラボレーション

真揮人さん撮影の「いくぞー!」

「撮影はモデルとカメラマンのコラボレーション。カメラマンが一方的に撮るものではない」と話す真弥さん。被写体の協力があってこそだと実感している。撮影時は「お客さまには、いつも感謝の気持ちと精一杯の笑顔を大切に、やさしく接することを心掛けている。そういう思いが伝わらないと相手も協力してくれないと思うし、それがかみあったときに両者がシンクロしてくる」と考える。「お客さまが喜ばれたとき、それが何よりもうれしい」と語る真弥さん。「結果として最高の写真を形に残したいというのはもちろん、それ以上に撮影の過程を大事にしたい。撮影して楽しかったと言われるのが一番の商品」だという。

「一人一人のお客さまを大切にして、子どもができて孫ができてというふうにずっとつながっていきたい。信頼され、裏切らない写真館として満足してもらえれば」。家族や仲間との最高の一瞬を求め、写真を撮り続けていく。

(坂本永通子)


日光写真館

与那原町字与那原61-1
TEL 098-946-2351
営業時間:10:00~19:00
定休日:水曜・木曜

https://nikkophoto.com/

(2022年10月13日付 週刊レキオ掲載)