暖かい日と寒の戻りを繰り返しながら、春が近づいています。ワシントンD.C.恒例の「全米桜祭り」ももうすぐ開幕。観光名所のポトマック川沿いに咲き乱れる桜を見るのが楽しみです。そして季節を問わず、ワシントンD.C.の見どころといえば、「スミソニアン」です。日本では「スミソニアン博物館」と呼ばれることが多いので、1つの大きな建物をイメージすることが多いと思いますが、実際はスミソニアン協会が運営する19の博物館・美術館や動物園のこと。歴史、科学、芸術、文化など1億5千万点を超える収蔵品を誇り、なんと「無料」で見学できる世界最大の博物館群です。国内外から多くの観覧者が訪れ、子どもたちの社会見学でごった返す人気の場所です。
その一つ、米国歴史博物館館内のある場所で、アメリカに来て初めて「日本人」として見られることが怖くなりました。そして、アメリカの視点からの「沖縄戦」を知ることにも…。
真珠湾攻撃、そして日系人は「収容所」へ
東館2階では、第2次世界大戦中にアメリカで強制収容された日系人の歴史を伝える特別展「Righting a Wrong: Japanese Americans and World WarⅡ (過ちを正す:日系アメリカ人と第2次世界大戦)」が2017年2月から開催されています。18年12月までの開催で、巡回展も予定されています。
1941年に日本がハワイの真珠湾を攻撃した日米開戦後の42年2月19日、当時のルーズベルト大統領は「大統領令9066号」に署名しました。この大統領令は、特定の地域から住民を排除する権限を陸軍に与えるもの。これによって約12万人の「敵となる外国に祖先を持つ」日系アメリカ人が、住み慣れた場所から立ち退きを強いられ、家や仕事、所持品を失い、砂漠地帯などに造られた強制収容所に送り込まれたのです。その7割はアメリカ生まれの2世で市民権を持っていたにも関わらず…。
特別展は、大統領令署名から75年を機に開催されました。同博物館の学芸員・実藤紀子さん=福岡県出身=が日系人団体と意見交換し、何年も前からこつこつと収集してきた個人の所蔵品などが展示されています。
米兵として出征した息子の無事を祈って母親が縫った千人針や、かわいらしい絵(ミッキー?)が描かれた赤い鼻緒の下駄、家族写真、手編みの子供服など、収容所内での日系人の生活を伝える「物」が数多く展示されています。
「大統領令9066号」の原本3ページのうち1ページ目や、収容所で日系人が米兵に射殺される現場を描いたイラストなどを通して、75年前に「何が起こったのか」を見ることができます。「大統領令のことだけでは伝わらない。日系人の生活が180度変わったことを、彼らに起きたことを、生き様をどう伝えるか」。実藤さんは企画の意図を語ってくれました。
75年前と「トランプ政権」の重なり
関連企画として、2018年2月18日にはドキュメンタリー映画「Never Give Up! (決して諦めない)」の上映会とシンポジウムが開かれました。ドキュメンタリーの主人公は日系2世の弁護士ミノル・ヤスイさん(故人)。弁護士として、市民活動家として、大統領令の違法性を問い続けました。ヤスイさんが亡くなった2年後の1988年、レーガン政権で日系人への謝罪と補償に関する法律が成立。ヤスイさんはその功労者の一人として、2015年に市民として最高位の「大統領自由勲章」を受章しています。
シンポジウムでは、当時の日系人差別と同様に、今のアメリカ社会でも排外的な風潮が広がっていることに対する危機感が相次ぎました。人権団体のメンバーらは、ワシントンD.C.近郊の大学でアフリカ系アメリカ人の女性がネオナチに狙われた事例や、トランプ政権のイスラム地域からの入国禁止措置(Travel Ban)などを挙げ、差別やヘイトスピーチがまん延している状況への憂慮を共有しました。
一方で、若い世代がSNSなどを使ってつながり合い、「乗り越えていこう」と新しい動きを始めていることに期待感を示しました。
映画を制作したヤスイさんの娘・ホリー・ヤスイさんは「父の行動を再び、多くの人に知ってもらうことが私の役割」と語りました。収容所での生活を経験した2世も90歳を過ぎ、「過去に何が起こったか」を知る世代がどんどん減っている今。「日系人に起きたことは、イスラム教徒も含め、今の全てのアメリカ人に関わること」「おかしなことがあれば、政府に対して『間違っている』と声を上げるのが私たち市民の使命」と訴えました。
「過ちを繰り返さない」ために、私たちに何ができるのか―。その方法は法律的な訴えやキャンペーン、人権団体などへの経済的な支援、アートによる抗議、署名など、さまざまな方法があるとも指摘。登壇者の1人がアメリカ社会での憎悪や分断を乗り越えるために、「他人の意見に耳を傾けよう」と語ると、拍手が湧きました。
参加した女性は「今起こっていることは、私たちみんなの責任であり、毎日の生活の中で憲法の権利を守っていかなければならない。若い世代のために、アメリカ建国の歴史や、なぜ『正義』が尊いのかをつなげていきたい。大きな絵は描けてないけど、普段の生活からやってみようとアイデアはある」と話してくれました。
「自由の代償」は銃と武器の歴史
同じく東館3階の常設展「Price of Freedom(自由の代償)」にも足を運びました。独立戦争、南北戦争、メキシコ戦争、米西戦争、第1次世界大戦など、アメリカの建国から続く「戦争の歴史」が時系列で紹介されています。「自由」を勝ち取るためにアメリカが参加してきた戦争。それと共に発展したのは、「銃と武器」です。ずらりと並ぶ銃の数々に、フロリダの高校で起きた銃乱射事件の直後だったこともあり、どんよりした気持ちになる一方、なぜアメリカで「銃を持つ権利」が憲法で定められているのかも、考えるきっかけになりました。
第2次世界大戦の展示に差し掛かると、入り口に東条英機、ヒトラー、ムッソリーニという当時のアメリカの「敵」が並んでいました。むごたらしい写真が展示される館内で、初めて「日本人」に見られることが「怖い」と感じました。日本との戦争の経緯を伝える地図や写真、米軍の記録映像を、どしんと重たい感覚の中で見ながら進んでいくと、ある展示の前で動けなくなりました。
そこには、沖縄の写真が1枚ありました。私の出身地でもある那覇市首里で戦う米兵の写真。そばに、当時米軍が使った火炎放射器の実物がありました。頭がぐらぐらとしました。沖縄戦の体験者から何度も聞いてきた、沖縄を焼き尽くした「物」が70年余りの時を越えて目の前にあること。「首里」という場所が戦場としてしか、伝えられていないこと。頭をがつんと殴られたような気持ちで動けなくなりました。
モニターには、米軍が飛行機から次々と爆弾を落とす映像や、日本に勝利し、歓声を上げるアメリカ人の姿が何度も映し出されていました。そこに、沖縄の人々や戦争前の風景を映す展示はありませんでした。
ふと横を見ると、原爆が落とされ、廃墟と化した広島の街の写真をじっと見ている女性がいました。なぜ、この写真を見ていたのかと声を掛けてみました。
彼女は「大統領が原子力爆弾を落とさなかったら、どうなっていたのだろうと考えながら見ていた」といいます。高校までの歴史の勉強では一通りの知識としてしか学ばなかったことを、大学、大学院で国際関係論や人類学を学ぶことでより深く考えるようになったとも。
「歴史の背景にあることももっと話し合わなければいけないと思う」と語る彼女の両親は、イタリア系、アイルランド系。夫はネイティブ・アメリカンのルーツを持つとのこと。アメリカの建国はネイティブ・アメリカンの土地を奪うことから始まったことも振り返りながら、「私たちはみな移民の子孫。この国で『誰が本当のアメリカ人か』という風潮が広がっていることについて、みんなもっと考えなければならないと思う」と話してくれました。
展示はその後も続きました。朝鮮戦争、ベトナム戦争、9・11後のテロとの戦い。あらためて、米国の歴史は「戦争の歴史」であると共に、軍隊に対しての考え方もあらためて突き付けられた時間でした。そして、第2次世界大戦後、沖縄にある米軍基地から、兵士たちや爆撃機が戦地へ送られたことも。
そして、毎日の「暮らし」から考える
ワシントンD.C.のど真ん中で、戦争の展示と共に見つけた「沖縄」は、アメリカから見た歴史のほんの小さな一コマでした。戦争で起こったことは事実。でも、国や文化、立場が違うと、いろんな角度の「見え方」「考え方」があることにあらためて気付かされました。
スミソニアンの展示には描かれていなかったこと。70年余り前の戦争で、沖縄は日本軍と米軍の戦場となりました。多くの人が亡くなり、生活は破壊され、文化財もすべて焼き尽くされました。戦争をきっかけに、米軍基地が造られました。今も沖縄の空に、子どもたちの頭上に、米軍のヘリが飛んでいます。
3分で知る沖縄戦 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-519092.html
5分で知る沖縄 戦後の基地拡大 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-518949.html
「普天間」で育った記者が、全国のママ、パパに伝えたいこと https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-629869.html
米国歴史博物館のある学芸員の方が、こう話してくれました。
「フェイクニュースが飛び交う世の中だからこそ、ファクト(事実)を示す『物』を残していくことが大事。それが博物館の役割。起こったことを『なかったこと』にしてはいけないんですよ」
記者になってもうすぐ四捨五入で20年。沖縄、日本、そして世界の歩みをもっと学ばねばと痛感する毎日です。なぜか? それは歴史を知ることが、「今」の成り立ちを知ることに他ならないからです。
毎日の生活の中で、歴史や戦争について考える機会は少ないと思います。でも、だからこそ、なぜ今の私たちの生活があるのか、今起こっていることの背景にはどんな歴史があったのかを考えることがとても大事だと思います。時折、博物館に足を運んだり、本を読んだりしながら、「命」や「日々の暮らし」を真ん中に置いて、これまでのこと、これからのこと、話してみませんか。「過ちを二度と繰り返さない」ために。
座波幸代(ざは・ゆきよ) 政経部経済担当、社会部、教育に新聞を活用するNIE推進室、琉球新報Style編集部をへて、2017年4月からワシントン特派員。女性の視点から見る社会やダイバーシティーに興味があります。