被害者の目にとまる モバプリの知っ得[179]


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2019年9月、山梨県道志村のキャンプ場で当時小学1年生の女児が行方不明になりました。母親は、SNS上でも娘の情報を求める呼びかけを積極的に行っていました。そうした中、先月26日には道志村キャンプ場近くの山中から、人の骨、そして子ども用の靴・靴下などが発見され、ニュースで連日報道されました。SNSでもこの件について言及する人は多かったのですが、母親はホームページにて次のように書いています。

「見つかった骨が娘(注:原文では実名)のものであると決まっているかのような一部の報道を目にして、私と同じ気持ちで娘(注:原文では実名)の無事の帰りを信じて待っている家族や友人から悲しみの連絡が来ています」

「少数ではありますが、娘(注:原文では実名)がもうこの世にいないというような言葉、母親が犯人だという 【※1】言葉も目に入ってきてます。そうした誹謗中傷に対しては、弁護士と相談して、法的措置も検討します。」

ニュースを見ると、自分の感想や意見が湧いてきたり、時には推理のような形で「この事件はきっとこういうことだろう」と想像したりすることがあります。一緒にテレビを見ていた家族や友人と感想を言い合うこともあるでしょう。密室の中で友達同士や家族の間で言う分には言論の自由があると思います。

しかし、その感覚でニュースの感想をSNSに反射的に書き込んでしまうと、被害者や関係者の目にとまり、自分の思いとは関係なく傷付けたり苦しめたりすることがあります。
 

イラスト・小谷茶(こたにてぃー)

SNSで発信するということは公の場で開示することになり、その発信した言葉には責任が伴ってきます。その点をしっかり認識しておく必要があります。

言葉は使い方が本当に難しく、相手との関係性や伝えるタイミング、言葉の細かいニュアンスなどで受け取られ方が大きく変わっています。

今回の道志村の行方不明の件も、悪気はなくて書いた人もいると思います。母親がずっと探していて無事を祈って信じている、そういう人に対して悪気はなくても、「残念でした」「骨が見つかったね」ということを、思うことはあるでしょうけれど、それを母親に言うべきではないだろうと思うのです。

芸能人が亡くなった報道を見て、その芸能人と仲の良かった人にコメントを書いても、それを見て元気になるとは限りません。落ち込んでいる人を元気づけるために「頑張って!」と伝えることは、はげます、良いことであると考える人は多いと思います。実際そうした効果が生まれることもあるでしょうが、伝え方を間違えると落ち込んでいる人をさらに追い詰める可能性もあります。

こちらに悪気がないから、悪いことをしているつもりはないというふうに正当化できるものではありません。人とのコミュニケーションは足し算のように分かりやすい正解はなく、じっくり考えることと失敗を繰り返しながら少しずつ学ぶ必要があります。
 

~ 解説 ~

※1 母親が犯人だという … こうした言葉は侮辱表現となり、傷付けられた人が訴えると裁判になることがあります。母親はこうした表現に対し「弁護士と相談して法的措置も検討しています」とも書いており、今後裁判になる可能性が出てきました。

残念なことに、被害者やその家族をバッシングする行為はネット上で頻繁に発生しており、書き込む側だけでなく、SNS企業やニュースサイト側の管理体制も問われています。
 

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