お宝1000丁余!?「そろばん展示館」【島ネタCHOSA班】


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浦添市屋富祖の宮城珠算学校にある「そろばん展示館」の所蔵品が増え続けていると聞きました。中にはお宝級の古そろばんもあるとか。近況を知りたいです。

(那覇市 パチパチ玉子)

子どもたちの習い事として珠算が盛んな沖縄県。珠算検定者数、珠算、暗算の最高段位「十段」の合格者数は沖縄県が全国一(全国珠算教育連盟)を獲得。揺るぎない「そろばん王国」を築き上げた先達、宮城清次郎さん(86)は2006年に「そろばん展示館」を開設しました。全国屈指と評判のコレクションに調査員も興味津々です。

県内初、そろばん塾専業者

「そろばん展示館」館長の宮城清次郎さん。今も電卓は使わず、暗算。「数字が体に染み込んでいます」

宮城珠算学校(宮城忍人校長)を訪ねると、校舎に入ってすぐの所に掲げられた「そろばん展示館」の扁額が目に留まります。案内してくれたのは館長の宮城清次郎さん。名刺には相談役とあります。製作から百年たった古そろばんなど、壮大な所蔵品を前にして、宮城さんのプロフィルをひもとかねば始まりません。

宮城さんがそろばんと出合ったのは1953年、首里高等学校の生徒の頃。選択科目で嘱託の指導者から珠算技能を習得しました。その指導者は、沖縄の珠算普及に尽力した経済人でした。「沖縄短期大学を卒業して、高校教諭となり公民館でも珠算指導をするうちに生徒が増え、66年県内で初めてそろばん塾の専業者となりました」と、宮城さん。

一方、宮城さんが師と仰ぐ先の指導者たちが「社団法人全国珠算教育連盟(全珠連)沖縄県支部」を発足。「沖縄の珠算普及のためには指導者育成が絶対条件とする考えの下、県支部は本土から講師を招いて各地域で講習会を開いていきました」

そして沖縄が本土復帰した72年。宮城さんも沖縄珠算界を担う節目を迎えます。「県支部は、全国競技大会で入賞者数を出す目標を掲げ、全珠連京都支部と姉妹支部を締結し、交流大会を通して一流選手による模範演技の見学や、指導力のレベルアップでそろばん教室の底上げを図りました」

本土復帰後、県内のそろばん教室が急激に隆盛した背景にこうした取り組みがあったのです。

江戸時代のそろばんの手習い所「寺子屋」と、商人の帳場格子を復元

県内唯一のそろばん展示館

学校創立50年目の2006年、校舎の建て替えに直面した宮城さん。というのは、長野県在住のそろばん教室代表者、黒岩和男さんとの縁から念願だったコレクション全てを託されたのです。

「無償で譲って下さった300丁余の古そろばんを含む600点のコレクションの展示をどうしようか。息子たちと話し込み、学校を新築することに落ち着きました」。なんと、そろばん展示館を設置するため、学校を取り壊すことに。

名だたる産地の古そろばん。一玉、一玉が名工の手作り

創立50周年事業で新築なった校舎に設置された県内唯一のそろばん展示館。時代、産地、材質、枠組みなど、13のジャンルで展示された一角には、江戸時代の寺子屋や商人の帳場格子が復元されており、タイムスリップも楽しめそう。産地別で見ると、播州(兵庫県)、雲州(島根県)、京都府、長崎県の名品の1000丁余が並びます。1600年代製作の名品もあれば、現代の名工の作品も。

沖縄の歴史を見て取れるのが、琉球王朝時代のわら算や米軍統治下時代のドルそろばん。五玉が2つ、一玉が5つの展示物について尋ねると、「中国製です。そろばんは1591年室町時代末期に中国から伝わりました。現在の四つ玉そろばんは日本で開発され、十進数の位取りで見やすく、暗算の修得に効果をもたらし、1938年小学校の教材に義務付けられました」

そろばん玉の材質、上からコクタン、カバ、ツゲ

2009年に兵庫県の故酒井義夫氏コレクションが加わり、書籍などを含む所蔵総数は今日、1170点余を数えます、と宮城さん。

多彩なコレクションを見るうちにそろばんの魅力を知った調査員。子どもの頃、珠算を続ければよかったなあ、と反省しきりでした。


そろばん展示館

問い合わせ
TEL (098)877‐1234
(宮城珠算学校)

(2023年4月27日 週刊レキオ掲載)