宙を舞い、皿を回し、エイサーを踊る人形にくぎ付け! 沖縄の文化を伝える人形劇団かじまやぁ


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沖縄独自のスタイルを確立

人形劇団かじまやぁ代表の桑江純子さん(左)と夫の良健さん=名護市済井出の「かじまやぁ美術館」 写真・村山 望

2月20日、「人形劇団かじまやぁ」による創作人形劇「チョンダラー(京太郎)」の公演が、あおぞらっ子保育園(沖縄市安慶田)で行われた。会場に集まった0歳から5歳の約80人の子どもたちと地元のお年寄りは、舞台を前後左右に動き回る人形たちに最後までくぎ付けになった。かじまやぁは1974年に発足。人形劇を通して、子どもたちに沖縄の文化を伝え続けている。

歓声や拍手を送りながら人形劇を鑑賞した子どもたち=2月20日、沖縄市安慶田のあおぞらっ子保育園

30体以上のカラフルな人形が入れ替わり立ち替わり登場する。宙を舞い、皿を回し、エイサー踊りもする。舞台の裏で指人形を操るのは桑江純子さん(68)と夫の良健さん(71)。二人が手にした途端、人形たちの頭や手足が魂が込められたように動き出す。

純子さんが「人形劇団かじまやぁ」を設立した背景にあったのは「沖縄の言葉や文化が失われてしまうという危機感」だ。

「もともとは沖縄が大嫌いだった」という純子さん。短大の保育科に進学後、離島を旅するようになり、沖縄の文化や自然の素晴らしさに気付いた。

短大卒業後の1974年、沖縄の文化や言葉を子どもたちに伝えていきたいと、学生時代の仲間たち約15人を集めてかじまやぁを結成した。

しかし、結婚や仕事などでメンバーが次々に辞めていく。8年目には存続の危機を迎え、純子さんはたった一人に。何とか協力者を集め、目標の10周年記念公演を終えた。

「チョンダラー」の一場面。人形の歩き方でさまざまなキャラクターを演じ分ける=2015年11月8日、琉球新報ホール

台湾の人間国宝に師事

残った資金でメンバーたちと以前現地で見て感動した台湾人形劇を見に行く旅を企画。有名な人形劇師5人のリストを手に、台湾に向かった。着いたその日、最初に会いに行ったのが鍾任壁(しょうにんぺき)さん(90)。台湾伝統人形劇・布袋戯(プータイシ)の5代目で、人間国宝でもある人だ。 その場で人形劇を演じてくれた。「空中で回転し、左右の人形が瞬時に入れ替わるなどアクロバティックな動きをする。指人形だから、左右の手を使い一人で同時に2体操ることができる。これだと思った」。やめようと傾いていた気持ちは吹き飛び、その場で弟子入りを志願した。

創立30周年記念公演の際、来沖した鍾任壁さんと並ぶ純子さん

世襲制で男性のみに限られた世界だったが、鍾さんは「台湾と琉球はきょうだい」と受け入れてくれた。

純子さんは毎日10時間以上、懸命に修行に励み、8カ月後に日本人で唯一台湾伝統人形劇の免許皆伝を受けた。

帰国後、台湾で習得した技術をベースに独自の人形劇を確立。音楽家や沖縄芝居の役者などの音声協力を得て、沖縄の旅芸人京太郎を主人公にした「チョンダラー」の他、「キジムナー」「チャンプルー孫悟空」などを制作。国内外で公演を続けている。

夫婦二人三脚で公演

帰国から数年後、夫の良健さんと出会ったことも大きな転機となった。フランスなどで修行を積んだ画家である良健さんは、自らの創作活動の傍ら、純子さんをサポート。運転手から計200㌔の荷物運び、舞台の裏方、人形遣いまで務める。純子さんは「裏方が一番苦労する。彼がいなければ成り立たない」と良健さんの存在の大きさを語る。

良健さんの絵画作品「人形遣いとキジムナーたち」。純子さんと人形たちがモデルだ

純子さんも演じるだけではない。広報営業活動も自ら行う。人形劇を披露する場を求め、学校などを回る。「一人の力では限界を感じる。行政の協力も得て普及できれば」と願う。

昨年、国立劇場おきなわ大劇場で創立45周年記念公演を成功させ一段落したのを機に、純子さんは「しまくとぅば講師養成講座」を受講し始めた。「後継者がいれば一番いいけど、体力的に厳しくなっても、人形を使ってしまくとぅばを子どもたちに伝えることはできる」と将来を見据え精力的に励む。

とはいえ、人形劇の活動はまだまだ続きそうだ。今年11月には約15年ぶりの宮古島での公演が決定。約2週間かけて保育園や幼稚園、小学校などを回る予定だ。「これが天職。要望があればどこにでも行く。体力が続く限りは頑張りたい」という純子さん。良健さんと共に多くの子どもたちの記憶に残る人形劇を届けるだろう。

(坂本永通子)

かじまやぁ美術館

名護市済井出226-2 (マップはこちら
☎ 0980-52-8084
(電話予約が必要)

(2020年4月2日付 週刊レキオ掲載)