未来へ向けて 希望のテークオフ
3月26日から供用を開始した那覇空港第2滑走路。完成に伴い、発着可能回数は現在の年間13万5千回から、24万回へと大きく飛躍する。利用開始に先立つ24日、レキオ記者が新滑走路と新管制塔を見学し、26日には日本トランスオーシャン航空(JTA)主催の視察飛行に参加した。その様子をリポートする。
見渡す限りの地平線。その一点に向かって、幅60㍍の滑走路が収束していく―。
那覇空港第2滑走路の上から見た光景だ。供用開始に先立ち、レキオ記者は24日に報道陣向けの見学会に参加し、普段は降り立つことのできない滑走路を自らの足で踏む貴重な機会を得た。
第2滑走路の全長は2700㍍。実際に滑走路の上から見ると、その長大さが実感できる。滑走路のアスファルト舗装は、表層8㌢、基層8㌢。国道58号久茂地交差点付近の表層5㌢、基層5㌢と比べ、厚みがある。さらに表面には、幅6㍉、深さ6㍉の溝を刻み込むグルービング施工が行われているのも特徴。水はけをよくし、摩擦力を上げることを目的とした加工だという。長大な滑走路の全体をこの精緻な加工が施されていると思うと、完成までの途方もない労力が思いやられる。
県民悲願の一大事業
那覇空港の原型は、1933(昭和8)年に県で最初の飛行場として完成した旧海軍の小禄飛行場にまでさかのぼる。アメリカ合衆国の沖縄占領に伴い、那覇飛行場としていったんは米軍の管理下に置かれたが、1972(昭和47)年、本土復帰により「那覇空港」として運輸省の管理する第2種空港に指定された。
これまでも滑走路の延長、ターミナルビルの拡充が行われてきたが、今回の第2滑走路増設は、誕生から約1世紀ぶりに空港の姿を大きく変える一大事業であることは間違いない。
工事は2014(平成26)年1月中旬に着手。護岸、埋立を経て舗装へ至る約6年の工事の末、完成の運びとなった。県民悲願の一大事業の総工費は約2074億円に及ぶ。
第2滑走路の供用に合わせて第1滑走路との間に新管制塔も誕生。高さは地上88㍍、国内では羽田に次いで2番目の高さを誇る。88㍍が空港全体を見渡せるベストな高さなのだという。24日の見学会では、特別に新管制塔の上層階に登らせてもらい、その雄大な視界に目を見張った。
JTA視察飛行を体験
供用開始となった26日当日朝には、JTA主催による視察飛行に参加した。
招かれた経済界や行政関係者、報道陣を待ち受けていたのは、首里城復興特別デザインのボーイング737ー800型機(首里城ジェット)。「この記念すべき日に、首里城ジェットで皆さまとこの喜びを分かち合いたい、との思いで若手社員を中心に企画しました」とJTAの青木紀将社長が挨拶した。コロナショックの中、実施について迷ったが、消毒を徹底した上で実現の運びとなった。整備士が窓ガラスをピカピカに磨き上げた、と青木社長は視察飛行にかける社員の強い思いを代弁した。
首里城ジェットは第2滑走路の供用が開始される8時より少し早い7時40分に、第1滑走路から離陸。ローパスと呼ばれる手法を用い、低い高度で第2滑走路の上空を8の字状に旋回する特別なルートを飛行。約1時間後、第2滑走路の第4便として着陸した。
着陸後、機上から見える新滑走路は、沖縄の美しい海がより近く感じられた。観光客であれば、旅への期待がよりいっそう高まる玄関口となるはずだ。
* *
コロナショックにより、現在、航空業界は非常に厳しい状態に置かれている。青木社長は「この滑走路を使って、沖縄県のさらなる観光振興、そしてこれからの沖縄全体の観光リカバリープランに取り組んで参ります」と述べる。第2滑走路の供用開始により、那覇空港の年間の発着回数は1・8倍へと大きく飛躍する。青木社長の言葉の通り、収束後のV字回復に期待したい。
今回の視察飛行で強く印象に残ったのは、離陸直後に、それまで周囲を覆っていたもやがさっと晴れ、機内に黄金に輝く朝日が差した瞬間だ。それは、空港の、そして沖縄の明るい未来を告げる希望の光のように思えた。
(日平勝也)
(2020年4月9日付 週刊レキオ掲載)