信念曲げずに人生歩む「運命共同体」
沖縄の言葉で「良くできる、優等生」の意味がある「ゆうでぃきや~」と2人の名前を組み合わせたコンビ名で、30年間活躍を続ける「ゆうりきや~」。年齢が同じで通った小中高も同じだが、クラスメートになったことはなく、親友というより遊び仲間の1人だったという。だが大学受験の当日、導かれたように2人の運命が大接近。県内お笑い界のパイオニア的なコンビが誕生した。その思い出など語ってもらった。
「大学の入試会場に行かず2人で遊びに行ったのが岐路になりました」と声をそろえる、ゆうりきや~の城間祐司さんと山田力也さん。
「僕の車で会場に向かう途中の信号待ちで、祐司が受験票を忘れたと気付き『大学で何する?』と言い出したんですよ。答えられずにハンドルを逆方向に切りました」と思い出す力也さん。
「停車して僕を降ろせば良かった話(笑)。結局大学進学は止め、専門学校に行きました。馬が合っていたので、新たな選択肢を2人で決めたのでしょうね」と祐司さん。
専門学校の学園祭で「オバーと孫」のコントを演じて人気者になり、テレビ局のお笑いコンテストに出場。その活動が関係者の目に留まり、劇団「笑築過激団」への入団につながった。
「就職しましたし、親は反対でした。でもコンテスト副賞のレストランのごちそうがおいしくて、味を占めたんでしょうね」と笑う力也さん。
祐司さんは「挑戦しようと決めたんです。『あの時やればスターになっていたはずよ~』と後悔したくなかったんですよね」と振り返る。
笑築入団後に出演したテレビ番組『お笑いポーポー』が大ブームになり、「ウチナーンチュ発見講座」他で県民を爆笑させた2人は20代前半で人気コンビに。
「沖縄の特徴や県民性を表現して笑おうよ、という番組づくりだったと思います」(力也さん)。「沖縄の良さをやわらかくアピールできたんでしょうね」(祐司さん)。ドリフターズなどの本土のテレビ番組を見て、県民にもお笑いが根付いてきた時代の流れにぴたりとはまり、脚光を浴びた。ラジオ番組でカウントダウンした後に初日の出鑑賞の遊覧船に乗り、那覇に戻って正月番組に出演して初売りイベントに出向くなど、過密スケジュールで過ごした年末年始もあったそうだ。
先輩の教えを後輩へ
出会いから40年が過ぎた2人は、家族同然の運命共同体だとお互いを思っている。ネタについての意見交換はあっても、大げんかをした経験はないとのこと。
「人となりを知り信頼しています。自分たちが面白いと思うことをやっているのでストレスも少ないんでしょうね」と祐司さんはまとめる。
そんな2人が大切にしているのは「笑顔と愛」。
「何がお笑いなのか、僕らは分からないんです。人をけなす言葉は絶対に使わず、愛のあるパフォーマンスでみなさんを笑顔にする道を歩んできました」と力也さん。
「舞台に出た瞬間、お客さまが腹を抱えて笑ってくれたら最高!」と目を輝かせる2人は、沖縄エンタメ関係者がジャンルや年齢を超えて集合するお祭りの開催を目標にしている。
「劇団員だったので裏方を経験し、沖縄芝居の大先輩方から所作を教わってきました。貴重な話がたくさんありますよ」と祐司さんが言うと、「経験を生かしながら後輩に引き継いでいきたい」と力也さん。歌・ダンス・喜劇ありのお祭り的なバラエティーショーを、テレビや舞台でやっていけたらと構想する。
また、「怒られるだろうけど」と前置きをした上で「執心鐘入の鐘からオバー登場」、「刑事がじゅり馬で移動する」など伝統芸能の要素をコントのエッセンスにできないかとも考えている。元々のジャンルや演目がどんな物なのかと、観客の興味を広げたいとの思いからだ。
お祭りイベント開催したい
毎週日曜に好評放送中のラジオ沖縄『おひがらサンデー 月下笑人』は、自然体のおしゃべりで祐司さんと力也さんの温かな人柄が伝わるリスナー参加型の楽しい番組。
「たくさんの人と出会う仕事を続けられてありがたいです」(祐司さん)、「大集合のお祭りを実現したい。30周年が僕らの2回目のスタートになるかもしれません」(力也さん)。
先輩にかわいがられ、後輩に慕われ、県民に親しまれる「ゆうりきや~」の今後が、ますます楽しみだ。
(饒波貴子)
<プロフィル> ゆうりきや~
1990年11月、 小学校からの幼なじみ、城間祐司と山田力也が結成したコンビ。90年代は笑築過激団の劇団員として、バラエティー番組『お笑いポーポー』他に出演し人気者に。以降、沖縄を代表するお笑いタレントとして活躍中。
【公式サイト】http://www.yurikiya.com/
<出演番組>
◆ラジオ沖縄『おひがらサンデー 月下笑人』日曜日13時~15時30分
◆琉球朝日放送『十時茶まで待てない!』 月~金曜日9時55分~10時20分
(2020年11月26日付 週刊レキオ掲載)