落語は時代を超えたエンタメ! 地域に根ざした落語家 北山亭メンソーレ


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

身近な場所で落語を披露

1月9日、那覇市ぶんかテンブス館4階テンブスホールで 写真・ヨシカワサトル

座布団一枚、扇子一本で人々を笑いの渦に巻き込む話芸「落語」。北山亭メンソーレさん(38)は、東京で落語家としての修行を積んだ後、地元・沖縄に戻り、身近な場所で落語会を開くなど地域に密着した活動を行っている。「落語の中で描かれるのは、人間のおかしみ、悲しさ、卑しさ。時代が変わっても人間というのは変わりません」とその魅力を語る。

自らをあえて「落語家のようなもの」と名乗る北山亭メンソーレさん。その訳を聞いてみると、「落語家というのは、正式にはきちんと師匠について一門に所属している人間じゃなければ名乗ってはいけないんです」との返事。

かつては立川志の輔師匠の弟子「立川メンソーレ」として、6年間修行を積んだメンソーレさん。10年ほど前に沖縄に戻ってからは、どの一門にも属さず活動している。「のようなもの」という表現は、師事していた志の輔師匠の新作落語「バールのようなもの」が下敷き。メンソーレさん流のひねりを効かせた師匠へのリスペクトでもあるのだろう。

「沖縄に帰ってきて初めてとある落語会に出るとなった時、寄席名をどうするかとなりました。名付け親の志の輔師匠から、メンソーレという名前は使っていいと許可はいただいた。でも、立川という亭号は使えない。困っていたら、その落語会の打ち合わせを兼ねた飲み会で、酔っ払った他の出演者の皆さんに北山亭と名付けられ、今に至っています」

琉大から落語の世界へ

今帰仁村の農家に生まれたメンソーレさん。お笑いには高校時代から興味を持っていたものの、落語にはまるで興味がなかったと振り返る。

落語の魅力に取りつかれたのは琉球大学に進学後。お笑い関係のサークルを探し、入ったのが落語研究会。

「初めはコントや漫才をやろうと思っていたのですが、ある時先輩に、パレット市民劇場で開かれた志の輔師匠の独演会に連れて行かれ、衝撃を受けました」

メンソーレさんは部室にあったテープを聴き込み、落語を演じるように。2004年、岐阜県で開かれた「第一回全日本学生落語選手権・策伝大賞」で優勝を飾った。

その年にメンソーレさんは琉大を除籍となり、立川志の輔師匠に弟子入り。東京で修行を積んだ。「今にして思えば楽しかった」と修行時代を思い返すが、厳しい芸事の世界。大変な苦労もあっただろうことは想像に難くない。

落語は難しくない

志の輔一門を離れ10年の3月に沖縄に戻ってからは、しばらく今帰仁で実家の農業を手伝う日々を送っていたが、半年ほどして「うずうずしちゃった」と落語を再開。

同年11月から北山亭メンソーレと名乗り、定期的に落語会を開き、県内各地のさまざまな集まりなどに呼ばれて落語を披露するようになった。最近では、小学校の教科書に落語が取り入れられているため、学校に赴く機会も増えた。

落語会が縁でラジオのパーソナリティーも依頼され、イベントの司会でも活躍。現在では、ラジオ沖縄の朝の情報番組「SPLASH(スプラッシュ)!!!」のパーソナリティーとしてもおなじみだ。落語で鍛えたしゃべりと声を生かし、番組を進行させる。

「落語はナマモノ。同じようにしゃべっても、その時々で受けたり受けなかったり…。お客さんの反応を見極めながらしゃべるのが、楽しくもあり、つらくもあるところ」と芸の難しさ、面白さを語る。

1月9日、那覇市ぶんかテンブス館4階テンブスホールで開かれた落語会のリハーサル風景。複数の場面や人物を、身振り手振りと声色を駆使して演じ分ける

最後に、落語の魅力について聞いてみると…。

「落語は沖縄ではまだまだなじみが薄く、難しいという人もいますが、決してそんなことはありません。落語の中に出てくるのは、楽をしたい、遊んで暮らしたい、金もうけしたいという欲にまみれた人々。そうした人間のおかしみ、悲しみ、卑しみを全部ひっくるめて、人間のおかしみとして表現するのが落語。何年たっても楽しめるエンタメだと思います」

お呼びが掛かれば、県内どこにでも赴くというメンソーレさん。「気楽に落語を楽しんでほしい」と笑顔を見せた。

(日平勝也)


移動には主に自転車を活用する(レキオ編集室撮影)

落語会のスケジュールはウェブサイトやSNSに随時掲載
https://hokuzantei.ti-da.net/
【ツイッター】@hokuzantei

落語会等の依頼は
【電話】 098-955-9838

(2021年2月4日付 週刊レキオ掲載)