<金口木舌>不戦の誓い


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 糸満市の平和の礎に今年は84人が追加刻銘された。戦後71年、いまだに刻銘は続く。その報道を見るたびに思い出す人がいる

▼その一人、石川ツル子さんは1944年、サイパンの地上戦で追い詰められた壕内で、米軍に気付かれるのを恐れた父が、幼い妹を手に掛けたのを背後で目撃した。ツル子さんは当時7歳、妹順子(よりこ)さんは1歳数カ月だった
▼「順子、順子、お父さんを許して」。5年前の「慰霊の日」、ツル子さんは追加刻銘された妹の名前を手でなぞり涙を流した。当時サイパンでは激しい地上戦で追い詰められた日本兵や住民が、泣き声で敵に見つかるのを恐れ、乳幼児を次々にあやめた
▼生き残った父母らはこの事実を口にできないまま亡くなった。生き残ったきょうだいやいとこから取材で証言を得た。家族・親戚の死を心にずっと抱えてきたのだろう。証言者は皆、涙した。話したのは「生きた証しを記録に残したい」から
▼詩人・壺井繁治はこんな詩を書いている。「生き残った者の中に生きる死者の存在/それは思い出の墓場には埋められず/つねに僕らの心の/いちばん深い所で生きている」
▼そんな戦争体験者は少なくないだろう。一緒に過ごした肉親や友人の「生」を記憶から消し去ることはできない。その「生」が尊いからこそ、不戦の誓いは揺るがない。体験者からそう学んだ。