<社説>「1億総活躍」 地に足の着いた政策こそ


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 耳当たりの良い言葉だけが躍っている。そんな印象を否めない。安倍政権が掲げる「1億総活躍社会」のことである。

 安全保障関連法の強引な成立から国民の目をそらす。そんな思惑を感じ取る人は多いだろう。
 第2次安倍政権は発足当時から経済最優先の政権運営をうたってきた。衆院選や参院選のたびにそれを強調しながら、選挙後、実際に力を注いだのは解釈改憲や特定秘密保護法など、タカ派色の強い政策ばかりだ。今回も目先を変えること自体が目的ならば、姑息(こそく)に過ぎる。
 そもそも「1億総活躍社会」が何を意味するのか判然としない。空疎な掛け声で国民を振り回すだけの結果になってはならない。
 名称にまず違和感がある。戦時中の「1億玉砕」、「1億総動員」を連想させる。今回は「強い経済」、具体的には国内総生産600兆円を実現するための、手段としての「総活躍社会」である。論理的には、労働市場に十分登場していない女性や高齢者にもっと進出してもらうというのが狙いだろう。
 だが何も就労だけが「活躍」ではない。経済成長への貢献を政府が国民に求めること自体、違和感がある。政権の支持率のために国民を「総動員」してはならない。
 1億総活躍担当相の権限もあいまいだ。その政策を話し合う「国民会議」の民間メンバーも、経済財政諮問会議や産業競争力会議、まち・ひと・しごと創生会議との重複が多い。屋上屋を架すかのごとき様相を呈している。
 何が政策目的なのかあいまいなままだと、省庁の権益争いが始まるのが常だ。会議の乱立は政治・行政のエネルギーの無駄遣いになりかねない。少なくとも目的を明確化すべきだ。そうすればおのずと政策の方向性も見えてくる。
 「就労したい人が就労できる社会」にするのなら、何がそれを阻んでいるか分析したい。現代社会は、中高年が何らかの事情で職を失うと、どんなに有能な人でも再就職は困難で、たちまち生活が困窮しかねない。それなら労働市場の流動性の実現を論議すべきである。
 「介護退職ゼロ」を目指すなら、社会が介護を担う仕組み、すなわち介護保険を含めた制度全体の再構築を議論すべきだろう。
 バラ色の空疎な掛け声はいらない。地に足の着いた経済・社会保障政策こそが求められる。