<社説>憲法記念日 空文化を許さず 沖縄に平和主義適用を


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 戦争放棄、恒久平和を掲げる日本国憲法が施行されてから68年を迎えた。

 日本国民が平和憲法下で生活していたころ、サンフランシスコ講和条約第3条によって日本と切り離された沖縄は、米国の軍事植民地状態に置かれた。日本国憲法が適用されたのは憲法制定から25年後の1972年だった。
 ことしは戦後70年に当たる。日本の防衛のため住民の4人に1人が犠牲になった沖縄にとって、憲法の平和主義は普遍的な価値を持つ。安倍政権による憲法の空文化の動きは断じて許されない。

「われわれの憲法」

 50年前の65年、立法院は5月3日を祝日とすることを全会一致で可決した。日本国憲法を「われわれの憲法」として公式に認め、積極的に支持する意思表示だ。施政権返還を求める最大組織の祖国復帰協議会も同年、沖縄が日本と切り離された「屈辱の日」に当たる4月28日に大会を開き、日本国憲法の適用を正式に要求した。
 当時の沖縄は、米統治者による布告、布令の軍事法規で支配されていた。日本国憲法の基本原則である国民主権、基本的人権が保障されず、米兵が引き起こす事件事故の被害に苦しめられた。63年、高等弁務官のポール・W・キャラウェイが「自治は神話」と発言して直接統治するなど、自治は無いに等しかった。
 65年以降、米国は地上軍を増派してベトナム戦争を拡大させ、嘉手納基地にB52爆撃機を常駐させるなど、沖縄は米軍の出撃拠点になった。日本国憲法が最も重んじている平和主義に反する状況に置かれ、住民は再び戦争に巻き込まれる不安を抱いていた。
 憲法記念日を沖縄で祝うことで、一日も早く日本国憲法が適用されること、つまり平和憲法下の日本に復帰することを希望した。
 しかし、施政権返還後に日本の憲法体制下に入ったにもかかわらず、在沖米軍基地は撤去されず自由使用が続いている。理由は、日米の返還交渉で密約を結んだからだ。歴代政権は、在沖米軍基地の整理縮小に真剣に取り組んでこなかった。このため施政権返還後も米兵が引き起こす事件・事故で人権をむしばまれ、日々の訓練による爆音被害にさらされている。憲法の平和主義が現在、沖縄に適用されているのか大いに疑問だ。
 安倍政権は米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を「唯一の解決策」と語り開き直っている。名護市長選、衆院選、県知事選を通じて示された民意を無視することは、民主主義の否定であり、憲法の原理に反する。

希求し続けた沖縄

 安倍政権は現行憲法を空文化しながら、最終的に改憲を目指している。
 昨年7月には、従来の憲法解釈を変更し、自国が攻撃を受けていなくても他国への攻撃を実力で阻止する集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行った。国民的議論もないまま、一政権の一存だけで安保政策を大転換した。
 さらに安倍首相は、米連邦議会の上下院合同会議で、集団的自衛権を可能とする安保関連法案が国会に提出されていないにもかかわらず「この夏までに成就させます」と国際公約した。主権者である国民の代表で構成する国会軽視であり、憲法を軽んずる発言だ。
 安倍首相は3月の国会答弁で自衛隊を「わが軍」と呼んだ。撤回したものの、憲法9条の存在を無視し、長年の政府解釈を否定する発言だ。首相が推進する「積極的平和主義」とは、日本が軍隊を持ち、再び「戦争のできる国」になることではないかと危惧する。
 平和憲法を現実に生かす努力を怠り、憲法解釈を変更して空洞化させることは、憲法尊重擁護義務(憲法99条)を果たしていないことになるのではないか。
 私たちは沖縄に平和憲法の理念が適用されることを強く求める。憲法を形骸化し、望まない条文を押し付けられることも拒否する。