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もろさわようこさんインタビュー 私と沖縄と女性史(上) 人間のため生き切る まやかしの「祖国」と決別


もろさわようこさんインタビュー 私と沖縄と女性史(上) 人間のため生き切る まやかしの「祖国」と決別 「沖縄は光です」と語るもろさわようこさん=2016年12月、南城市の「歴史を拓くはじめの家うちなぁ」(具志堅千恵子撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 米倉 外昭

 女性史研究家で「歴史を拓(ひら)くはじめの家うちなぁ」を開設して22年が過ぎたもろさわようこさん(91)に、現在の沖縄を巡る状況や自身の女性史観、1972年以来、関わってきた沖縄で学んだことについて聞いた。(聞き手・米倉外昭)


 私はひめゆり学徒とほぼ同じ世代です。私の世代は男の人は特攻隊。私は女だから生き残った。そして沖縄にいなかったから生き残ったと思っています。
 戦争の時は新聞もラジオも全部大本営発表でした。それが戦後、「鬼畜米英」と言っていたのが「文化国家米英」とたたえて、占領軍の側に立った。マスコミはその時の支配の側の召使いでした。
 教えられるままに信じ、命をささげることを光栄と思い込んでいた「祖国」や天皇は、国民のものの見方、考え方を意識呪縛するシステムだと悟りました。そして、支配の側がもたらす輝かしい言葉に隠されているものを、見抜く力を持たなければと思いました。
 国家を象徴する「祖国」と決別した私は、人間こそわが祖国、人間を損なうものにはうなずかず、人間であることの尊厳を求めての、戦後の出発でした。

 だから、輝かしく言われた民主主義・平和・文化国家のスローガンも、確かな中身が分からないうちはうなずけなかった。
 武器・戦力を持たず、男女差別はじめ人間差別を否定、政治の主権は国民にあることを具体的に示した今の憲法に出合った時、戦争で殺された人々の悲願が結晶したもの、その人々の血であがなったものとして、私は胸に熱く抱き取ったのでした。

有権者に責任

 今、戦後を生きる道しるべにしてきた平和憲法がどんどん踏みにじられていくでしょ。デモ、陳情、座り込み、みんなしましたよ。でも、自民党政権がずっと続く。いくら国会前で叫んでも強行採決される。加えて野党があまりにも無力。
 権力というのは既成事実を作ってそれを現実だと言って押し付ける。カエルをぬるま湯に入れて次第次第に熱くするとゆでガエルになります。大方がゆでガエルになってしまった。沖縄だけなっていないのは、初めから熱湯だったからです。

 戦後71年生きてきて本当に日本政府に愛想が尽きました。そして、そんなろくでもない政府を成立させ続けているのは有権者の一票一票でしょ。戦後のヤマトの状況を見ると、本当に情けない。主権者意識の確立していない人たちの一票一票が、戦後71年でこういう状況をつくり出してしまったんです。

 ここに至ったのには女に責任があります。戦前は女性に選挙権がなかった。男に任せたら戦争になるからと、女が平和を確立するために1票が欲しいと、いろいろな受難の中で運動しました。戦後、有権者は男より女の方が多い。だから有権者の女一人一人の自覚があったらこういう状況はなかったと思います。

 戦前は女性は法的にも差別されていたので、戦後解放された自分たちがどう生きるかということにすごい感激と自覚がありました。今は生まれた時から男女平等が保証されているでしょ。ガラスの天井は張り巡らされているけど。女たちがもっと自覚していたら、こうはならなかったはずです。

常識を蹴飛ばせ


 ここへ来て光は沖縄です。沖縄は、これだけ踏みにじられて、差別されて、いじめられても、非暴力不服従で抵抗しているのは立派ですよ。でも限界があると思う。だからあんな政府を蹴飛ばしちゃって、平和憲法に沿った独立国になってもらいたい。ずっとずっと耐えて来たわけです。その耐えるエネルギーを建設するエネルギーにしたらどうでしょう。

 日本政府が、基地を返したと言って機能強化しているでしょ。言葉をごまかして。戦争法案もそう。かつて「東洋平和のため」と言って、言葉でごまかして戦争を始めた。今とまったくうり二つです。沖縄の米軍北部訓練場も、あれだけ機能強化して半分返したといけしゃあしゃあと言う。辺野古、高江、先島も要塞(ようさい)化するんですよ。反対する人たちは拘置されているでしょう。人民の主権を行使している人たちにこんな理不尽なことをして。この際、さっさと蹴飛ばして離婚した方がいい。沖縄はヤクザな亭主にいつまでも連れ添っている必要はありません。

 建設するのは大変だけど、歴史は常識では拓けません。常識は蹴飛ばしていいんです。現在のシステムに慣れ過ぎて、今、対症療法で振り回されている。それより未来に向かって闘った方がいいんじゃないですか。世界にウチナーンチュがいるでしょ。独立への道を歩き始めれば、彼らはほっときませんよ。独立国になっていくんだったら、いろんな意味で呼応する人たちがいると思います。

 独立は命を懸けなきゃできません。みんな鬱々(うつうつ)としているんだけど、突破口がない。だから、扇の要のような人がいて方向付けをして、こういう道筋があると示せばいいんです。

 加害の側に生まれた私は、肩身が狭い。身に帯びた加害性を自覚していないと、醜い無知の傲慢(ごうまん)で、沖縄の人々を、さらに踏みつけるのですから。


もろさわ・ようこ 1925年2月長野県生まれ。記者や教師、月刊誌「婦人展望」編集者を経て女性史研究家に。69年「信濃のおんな」で毎日出版文化賞。82年、故郷の長野県佐久市に女性のためのオープンスペース「歴史を拓(ひら)くはじめの家」を開設。94年に玉城村(現南城市)に「歴史を拓くはじめの家うちなぁ」、98年に高知市に「歴史を拓くよみがえりの家」を開設し、三つの拠点を巡りながら、学び交流する施設を運営している。