戦前シンガポールに渡った父仲地義雄さん(享年79)=宮古島生まれ=の「沖縄の血筋を大切にしなさい」との遺言を受け、祖先の墓参りなどのために沖縄を訪れているシシリア・ガーケンさん(62)=シンガポール出身、オランダ在=が11日、三十数年ぶりに沖縄の親類と再会した。親類に関する情報提供を呼び掛けた本紙記事を読んだ義雄さんの妹の宮城夢之さん(82)=南風原町=らが那覇市内のホテルにシシリアさんを訪ね、「やっと会えた」と抱き合った。
「父が導いてくれた」と涙を拭うシシリアさん。宮城さんは「ずっとシンガポールの兄の元を訪ねたいと思っていた。位牌(いはい)の前に花を添えてほしい」と香典を渡した。シシリアさんのいとこの仲地幸徳さん(83)は入院中で来られなかったが、幸徳さんの次男の秀徳さん(47)が親類に連絡し、秀徳さんを含む6人がホテルに駆け付けた。
シシリアさんが墓参りを強く望む理由の一つに、生前の義雄さんから聞いた言葉がある。「幼い自分を売った父親が許せず、沖縄で墓参りをしたときに唾を吐きかけてしまった」
8歳で糸満に奉公に出された義雄さん。1938年ごろ外国船に潜り込みシンガポールに渡った。中国人として生活していたが、日本軍の捕虜に。戦時中は通訳として現地との仲介を命令されるなど波瀾(はらん)万丈の人生だった。
義雄さんは自分を売った父親である與野志さんへの怒りを捨てられないでいた。憤怒の感情に苦しむ義雄さんに対しシシリアさんは「貧しい生活の中で苦しい決断をしたはずだ。許そう」と諭した。義雄さんは他界する前に許し「沖縄の血筋と親類を大切にしてほしい」と遺言を残した。
「父が悪態をついてしまったことを祖父に謝りたい」。シシリアさんは沖縄の親類と12日に墓参りし、掃除をする。10日には糸満市の平和祈念公園を訪れ、祖父や父らの名前を書いた灯籠を流した。
シシリアさんは「沖縄はわたしのルーツ。オランダに住む2人の息子にも沖縄への思いを引き継ぎたい」と話した。(松堂秀樹)
英文へ→Woman of Okinawan descent living in Holland reunites with her relatives for the first time in three decades