「海兵隊撤退」要求に強い決意 沖縄県民大会、変わらぬ基地負担にいら立ち


この記事を書いた人 アバター画像 与那嶺 明彦
「米海兵隊の撤退」を決議した沖縄県民大会=19日午後、那覇市の奥武山陸上競技場

 沖縄県那覇市で6万5千人(主催者発表)が集まった米軍属による女性暴行殺人事件に抗議する県民大会。県議会の抗議決議と同じく海兵隊の撤退と米軍普天間飛行場の県内移設に反対する要求を決議し、あらためて米軍関係者の事件を二度と起こさせないための決意を共有した。主催者の予想を上回る多くの県民が結集したことにより今後、沖縄から日米両政府に突き付けられる要求が新たな段階に入っていくことになる。

 元米海兵隊員の米軍属による女性暴行殺人事件を受けて6万5千人が集まった県民大会。「怒りは限界を超えた」と参加者が掲げたプラカードが象徴するように、米軍関係者による事件を二度と起こさない決意が、従来の基地の「整理縮小」という表現から強く踏み込んだ形で、「海兵隊の撤退」という通告を日米両政府に突き付ける形で表れた。米軍普天間飛行場の返還合意の契機となった、1995年の米兵による少女乱暴事件から21年。県民が事件・事故の根本原因だと訴える日米地位協定は改定せず、沖縄に基地負担を押し込める米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を推し進める日米両政府。「何も変わらない」(翁長雄志知事)状況にいら立ちが募る中、再び起きた凶悪事件を機に、県民世論の要求は具体的な形となって絞り込まれ、新たな水準に高まった。

 今回の大会を巡っては、二つの議論があった。辺野古新基地建設や米海兵隊の撤退に触れるべきか、それらには触れず超党派の大会を目指して自民などとの共同開催を模索すべきかという点だ。

 大会が超党派の開催とならない中、大会決議で基地政策を巡る具体的な要求を掲げることは「事件の政治利用ではないか」という議論もあった。

■基地問題と不可分

 だがこの日、被害女性の父親は、大会に寄せたメッセージで「米軍人・軍属による事件、事故が多い中、私の娘も被害者となった。次の被害者を出さないためにも、全基地撤去、辺野古新基地建設に反対で県民が一つになれば、可能だと思っている」とつづった。遺族の悲痛な訴えは、繰り返される米軍関係の事件・事故は、紛れもなく沖縄の過重な基地負担と不可分であることを示した。

■政治史

 95年の少女乱暴事件を受けた県民大会は超党派で開催され、300もの団体が実行委員会に加わり、8万5千人(主催者発表)が集まった。大会参加を見送った自民のある県選出国会議員は「あれは県民大会ではなく『オール沖縄大会』だ。本来は実行委員会をつくり、決議内容も決めるべきだ」と不快感を示した。

 超党派の大会にならなかったことについて、県幹部や与党内部からも、オール沖縄会議が大会企画の初期段階から自民や公明に声を掛け、協議すべきだったとの“落ち度”を指摘する声はある。しかし、県議選や参院選を挟んだ時期で「各政党が緊張関係にあったことが対話を難しくした」(与党県議)事情もあった。

 ただ同時に、早期に自公と協議していた場合も、主催者側が「海兵隊」を決議に盛り込む決意は強かった。

 大会は超党派とすることで動員数や日米両政府への訴求力を高めるか、もしくは県民の反発が「限界」であることを訴えるために、発信内容にこだわるかのせめぎ合いだった。

 大会が超党派にならない見通しとなったことで、在京メディアなどによる報道の扱いは“格下げ”となる見通しが県などに伝わったが、主催者側は「それは報道姿勢の問題だ。もうこの問題であいまいな立場になるつもりはない。要求は下げない」(オール沖縄会議幹部)と譲らなかった。

 大会後、記者団の取材に応じた呉屋守将共同代表は決議内容について「21年前の大会と違い、はっきりと海兵隊の撤退を求めることが重要だった。これが具体的な解決策だと盛り込んだことが、大きな重みを沖縄の政治史に残す」と強調した。
 (島袋良太、仲村良太、当銘寿夫)