辺野古で大浦崎慰霊祭 遺骨収集へ思い深く


社会
この記事を書いた人 金城 美智子
手を合わせて戦没者を追悼する座り込み参加者ら=23日午前10時半ごろ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前

 【名護】沖縄戦直後、米軍キャンプ・シュワブ内にあった大浦崎収容地区で亡くなった人々の慰霊祭が23日午前10時、名護市辺野古の同基地ゲート前で開かれた。座り込みに参加している市民ら約100人がゲート前のテントに設置した焼香台に線香を立て、犠牲者を追悼した。

 慰霊祭は昨年に続き2回目。遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表が大浦崎収容地区には1945年6~10月、本部半島や伊江村の住民らが収容され、マラリアや飢えなどで多くの人が死亡したことに触れた。具志堅さんが県から入手した資料によると、遺族が死亡場所を「大浦崎」「大浦」などと申告されている人は304人。ただ、実際はもっと多くの人が大浦崎で亡くなったとみられる。
 具志堅さんは「1957年という戦後早い段階で基地が建設されて住民が入れなくなった。多数の遺骨が収集されず今も残されている可能性が高い。中に入って遺骨収集ができないか、直接米軍に訴えたい」と強調した。
 座り込み参加者は一人一人、手を合わせて、いまだに収骨されていない犠牲者も含め、戦没者の冥福を祈った。
 企画した「奥間川流域保護基金」の伊波義安代表(74)は「今も多くの遺骨が眠るかもしれない場所に基地が残り、さらにその近くに新たな基地を造ることは死者への冒とくだ」と力を込めた。
【琉球新報電子版】

英文へ→Ourasaki Memorial Service at Henoko; prayers for war dead