沖縄戦で夫と2人の子どもなど親族11人を失い、自身の体験が映画「GAMA 月桃の花」のモデルになった安里要江(としえ)さん(95)=北中城村=が、大会場での語り部としての講演活動は体力的に難しくなってきているが「自宅の近場で、小規模の語り部活動ならできる」と話し、活動を続けている。目まいや膝の痛みなどがあり、体調が安定しておらず、講演の依頼を断ることも増えたという安里さんだが「平和な社会をつくるために言葉が出る限り続けたい」と言葉に力を込めた。
安里さんが語り部活動を始めたのは1981年に全国から労働組合の婦人部が来県した「全国働く婦人の集い」で講演したことがきっかけ。以来、沖縄戦体験の継承のために活動を続けている。当時は記憶を封印し、自らの体験を語らなかった沖縄戦体験者が多く、安里さんが公の場で自身の悲惨な戦争体験を語ることに批判的な声もあった。「ばかじゃないか」と言われたこともあったが、「戦争は絶対に駄目だ」との思いから、勇気を振り絞って活動を続けた。
最も多いときには1日に3件の依頼を受けたことも。北海道など県外にも出向いた。砲弾が降り注ぐ中、逃げ惑い、やっとの思いでたどり着いた轟(とどろき)の壕(糸満市)で生後9カ月の娘を失ったこと、米軍に保護された後、収容所で夫と息子が亡くなったことなど、家族を失った当事者として沖縄戦の実情を伝えてきた。
安里さんが体験を話すと、涙が止まらずに立ち上がらない人も。「私にできるのはこれしかない」。戦争を忌避する思いを広めていくことが使命だと感じた。
一方で「私が語っているのはうわべだけだ」と声を落とす。「沖縄戦の体験は、言葉にできないほど苦しい」。死んだ赤子を抱いて、泣きわめく母親がいても誰も振り向かない。食べる物も着る物もない。「こんな経験するのは私たちで最後にしてほしい」と強調する。
高齢で、大人数に対する講話は難しくなったが、お互いの顔が見える近さで、問答形式であれば記憶を紡ぐことができる。「『昔のことだ』と沖縄戦を忘れてはいけない」。安里さんは亡くなった家族への思いを胸に、次世代のために戦争体験を伝えている。(安富智希)