本土への演習移転 日本政府が消極姿勢 元米総領事が証言


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アロイシャス・オニール氏

 【ワシントン=問山栄恵本紙特派員】1990年代半ばに在沖米総領事を務めたアロイシャス・オニール氏が、県道104号越え実弾砲撃演習の本土移転について、海兵隊が要求したにもかかわらず、日本政府が移転先自治体への説得に消極的だったことから実現が遅れたなどと証言していることが5日までに分かった。米国務省系の研究機関が行った退任後のインタビューで述べた。

 大田昌秀知事(当時)は94年6月の訪米要請などで、沖縄戦終戦50年の1995年までに解決を求める「重要三事案」として(1)県道104号越え実弾砲撃演習の中止(2)那覇軍港の返還(3)読谷補助飛行場でのパラシュート降下訓練の廃止・施設の返還―を日米両政府に強く要請した。当時は進展がなかった。

 オニール氏は104号越え実弾砲撃演習の本土移転に関して「海兵隊は既に彼らが訓練を行っていた本州の富士の大砲射撃場への移転をいとわなかった」と振り返った。一方「日本政府は95年まで、富士(演習場)の周辺地域社会に働き掛けるのに不可欠な政治力を費やすことを好まなかった。95年の残酷な少女暴行事件が起きた結果、ついに実行した」と語り、訓練移転に前向きだった海兵隊に対し、日本政府は消極的だったと指摘した。

 オニール氏は日本国内の「政治的圧力」で、80~90年代に東京や横浜、横須賀で米軍基地の整理統合が実施されたのに対し「沖縄では部分的な整理統合や返還はあったが、決して(本土と)同じではなかった」と強調。本土と比べ、沖縄の米軍基地の整理縮小が進まなかったと指摘した。

 オニール氏は1994~97年に在沖総領事を務めた。インタビューは「外交研究・研修協会」が外交史の記録目的で2008年に行った。