リーフに囲まれた穏やかなビーチが72年ほど前、戦争の悲惨な現場となったことを伝え継ぎたい―。1944年8月に米潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈し、疎開学童約780人を含む1480人余りが犠牲となった「対馬丸」から、多くの犠牲者たちが流れ着いた鹿児島県奄美大島の南部、宇検村宇検の船越海岸に「対馬丸慰霊の碑」の建立が進んでいる。3月には完成し、除幕式が行われる予定だ。
慰霊碑には、当時救助活動に参加した大島安徳さん(90)の詩が刻まれる。「受難のみ魂(たま)ら/とこしえに/祭りつたえる/船越しの浜」。大島さんは「対馬丸の事件は戦争のむごさと平和の尊さを伝えるシンボルのようなものだ。碑の建立を願ってきた。対馬丸を伝える場としていきたい」と話す。
宇検村宇検集落が慰霊碑建立実行委員会(委員長・川渕昌春区長)を立ち上げ、村からの補助金610万円を受けて設置を進めてきた。慰霊碑は高さ約1・9メートル、幅約1・4メートル。船越海岸を見下ろす高台に建立される。
除幕式は3月19日に開かれる予定。宇検村は除幕に合わせて2月26日~3月31日、那覇市若狭の対馬丸記念館から資料提供を受けて、同村で初の対馬丸の展示会を開く計画という。
詩を詠んだ大島さんは当時、青年団の一員として、流れ着いた人の救助活動に当たった。20人余りを助けたが、遺体として漂着した人も50~60人いたという。そのほとんどが船越海岸だった。
大島さんは「漂着した遺体の中には漂流中に体の一部を失っている人もいて、本当にひどい状態だった」と振り返る。「すぐに憲兵が来て、絶対に他言無用だとかん口令が出た」と話した。
大島さんは今も小中学校で対馬丸について伝える活動を続ける。「対馬丸のことを知る人がほとんどいなくなった今、慰霊碑は大切な役割を果たす。当事者の1人として建立を待っていた」と話した。
(岩崎みどり)