甕から人骨、装飾品 「義本王の墓」裏付けか 国頭村辺戸


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 【国頭】国頭村教育委員会(小橋川春武教育長)は20日、同村辺戸にある舜天王統第3代義本王(1206年生)が葬られたと伝わる墓の室内から甕(かめ)に入った人骨5~6柱と装飾品などが見つかったことを明らかにした。

県内複数カ所に義本王のものとされる墓があるが、発掘品の分析が進めば、辺戸に葬られたことが裏付けられる可能性が高まる。同委員会は同日、墓室内を初公開した。
 義本王は1249年、琉球のグスク時代の王に即位。翌年から、飢饉(ききん)や疫病に相次いで見舞われ、国民の半数近くが死亡したことから、英祖を摂政にし、国政を代行させ、11年後に英祖に王位を譲った。国の荒廃や王統が変わったことなどから身を隠したとされ、同村や北中城村など複数カ所に義本のものと伝えられている墓が存在する。
 見つかった人骨は直径約1メートルの甕に入っていた。甕は墓の入り口より大きいため完成前に墓内に入れられたとみられる。調査を進める同教委の赤嶺信哉学芸員によると、墓を開けた際に甕は側面が割れており、人骨が露出。その近くから玉などが見つかったという。
 現存する辺戸の墓は明治初期に尚家が改修したとされる。琉球石灰岩が積まれ、墓の外側は幅、奥行きともに約3メートル。
 英祖の墓とされる「浦添ようどれ」の調査にも携わった土肥直美琉球大学非常勤講師(人類学)は「ようどれでも骨が30体くらい見つかった。義本王のものとは断定できないが、興味深いのは顔つきがグスク時代の特徴を持っている。義本王の可能性はある」と語る。
 今後、人骨や甕は年代測定など分析を進める。墓は本年度中に修復し村が観光資源化を図る。

英文へ→Human remains and ornaments found in a burial urn possibly confirm tomb

「義本王の墓」内で見つかった甕に入った人骨=20日、国頭村辺戸