登川誠仁さん死去、80歳 沖縄民謡の第一人者


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登川誠仁さん

 沖縄民謡の唄者として活動した登川誠仁(のぼりかわ・せいじん)さんが19日午後11時37分、沖縄市の中部徳洲会病院で肝不全のため死去した。80歳。兵庫県尼崎市出身。自宅は沖縄市松本2の3の5。告別式は未定。

 登川さんは1932年生まれ。5歳から沖縄で育ち、16歳で沖縄芝居の松劇団で地謡になった。三線の名手として活躍し「豊節」「デンサー節」などの作詞作曲を多数手掛けた。工工四に声楽譜を加えた「民謡端節舞踊曲集工工四」などを編集。独自の楽器開発や、沖縄各地に埋もれていた民謡を編曲し、広めた。
 「セイグヮー(誠小)」の愛称で親しまれ、1999年公開の「ナビィの恋」など映画にも出演した。
 琉球民謡登川流宗家、県指定無形文化財琉球歌劇保持者。2011年に第9回宮良長包音楽賞を受賞した。1月下旬から肝硬変のため入院していた。
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