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心を洗う場所「浜辺の茶屋」 五輪映画の一場面にも 河瀬直美エッセー <とうとがなし>(17)


心を洗う場所「浜辺の茶屋」 五輪映画の一場面にも 河瀬直美エッセー <とうとがなし>(17) 「浜辺の茶屋」から見える海
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 沖縄に来ると必ず行く場所がある。南城市の「浜辺の茶屋」だ。カウンターの窓から見える崎原の海は時間ごとに変化してゆく絵画のようだ。いや、映画かもしれない。これまで西の海ばかり見ていた私は、初めて東の海を見たときに「穏やかだな」という気持ちでいっぱいになった。

 沖縄は世界に誇れる稀有(けう)な文化を継承している場所としてリスペクト(尊敬)している。と同時に、心の洗濯に来る場所でもある。特にこの2年はコロナ禍にあって、文化従事者としてはその表現をおこなう場に制限があり、モノづくりそのものへも大きな打撃があった。焦りや不安を抱えながら、じっとするしかなかった間に、ゆっくりと海を眺めながらお茶を飲み、たわいもないユンタクをする時間が不安定な心をどれだけ支えてくれていたことか。

 コロナが収まってきて業界が動き始めると、元の様(よう)に集中して表現をする自分に戻るのに、結構時間がかかっているなと漠然とした不安が心を覆った。その時も、「浜辺の茶屋」はいつもそこにあった。どこにいてもそこにそれがある限り、安心して冒険ができるということが人にはあるだろう。遠く離れていても、そんな心の休まる場所が、忙しく流れ始めた時間の中で、私の日常を支えてくれていた。

 穏やかな海と流れる雲が刻一刻と表情を変えて現れる風景、子供の笑い声。海に臨むカウンターの木枠の窓を開け放っていると、海面に反射した太陽が散らばって光を放ち、それがまたチラチラとガラスに反射して格別に美しい。世界中の宝石をこの場所に集めたような空間。

 初めて訪れた日、ガラス越しの浜には息子と戯れる父の姿があった。映画のワンシーンのようで、思わず動画で撮影した。実はこのショットは映画「東京2020オリンピック SIDE:A」に使用されている。何を隠そう喜友名諒選手がオリンピックで金メダルを獲得した時の沖縄での日常を表現したシーンに用いているのだ。

 喜友名選手はオリンピックの前に最愛のお母様を亡くされている。幼少の頃から空手が大好きで、まだあどけない表情の彼がお母様と並んで写したショットに、穏やかな東の海の浜辺の茶屋から見えた、幸せの象徴のような親子の姿を重ねる。他にも喜友名選手のシークエンスには「空手」の競技だけではない2021年の沖縄を記録した場面がある。

 首里の丘の上では「時代が変化しても、この海と空の青が変わらなければ大丈夫」と島くとぅばで話すおじさんの笑顔。米軍の基地の中に拓(ひら)かれた畑では「沖縄に前からあったものの方がずっと素敵(すてき)だ」と誇らしげに語る麦わら帽子の男性。喜友名選手の活躍を「はっさみよぉ、見上げたものよぉ」と空にも舞い上がるような表情を見せてくれたおばあさん。沖縄を想う人たちの「チムグクル(真心)」をフィルムに刻んでずっとずっと私は大切に思いつづける。

 浜辺の茶屋に届く穏やかな波の音が繰り返し繰り返し耳に届いては消えてゆくように、人生もこのような繰り返しの中で確実に昨日とは違う明日がまた始まる。「今」が消えてゆくことの悲しみを、この茶屋はグイッと前に引っ張って取り除いてくれる存在だ。だからこそ、ずっと此処(ここ)に私は通い続け、自らの「チムグクル」を確かめている。

(映画作家)