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実りの里・森の保育園 自然の中で感覚育む 河瀬直美エッセー<とうとがなし>(23)


実りの里・森の保育園 自然の中で感覚育む 河瀬直美エッセー<とうとがなし>(23)
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 名護に向かう沖縄自動車道は横なぐりの雨が降り注いでいた。降水確率90%。翌日まで続く雨予報。にもかかわらず次の日は朝からホテルのエントランスに向かいの山から神々しい太陽が差し込んだ。その空間に早く出会いたい気持ちがいっぱいで約束の時間より少し早く到着して門戸を開いた。

 そこには朝から元気に遊ぶ園児たちの声が響き、笑顔で迎えてくれた副園長の斉子さん、そして園長の明美さん、主任のターケーが丁寧に私の話を聞いてくれる。一日保育士になったつもりで過ごせるように上下ジャージで来園した。その姿から察してくださったのか、早速靴下を脱いで裸足(はだし)になった私を園庭に案内するターケー。ここでは保育士も園児もみんな下の名前で呼び合っている。私も「なおみん」と呼んでほしいと告げると、早速「なおみん」を昨日の雨でドロドロになった園庭の土で遊んでいる2歳児のすみれ組に紹介するターケー。一緒に泥んこの土に裸足で座り込む。みんな本当に嬉(うれ)しそうにケラケラ笑いながら顔も髪も泥だらけ。汚れたら地下からくみ上げている水のシャワーで裸ん坊になって洗い流せばいい。

 3歳児のたんぽぽ組はシャベルを使って流れ出した赤土を集め、元のお山に戻すためにせっせと土を運ぶ作業をしていた。その横では4歳児のひまわり組がつい先日、年長のかんな組から受け継いだヤギのお世話に夢中だ。まずはコロコロのうんちを集めて掃除をするところから協力して行う。綺麗(きれい)になったヤギ小屋の周りを確認すると、いよいよ園の外の広場に連れて行く重要ミッションが待っている。ヤギは4歳児よりも力が強いので、みんなで力を合わせないといけない。ようやく「くるみ」と「すず」の親子ヤギの世話を終えたのを確認して園庭に戻ると、土を運び終わったたんぽぽ組が平木を山に立て掛けて作った滑り台を何度も何度も順番を守りながら奇声をあげて滑り降りている。なんて楽しそうなんだろう。

斉藤公子保育を実践する実りの里・森保育園の、笑顔いっぱいの子どもたち

 お散歩から戻ってきた1歳児のさくら組はホールで保育士の弾くピアノに合わせたリズム遊びに夢中だ。こうして午前中があっという間に過ぎ去り、0歳児のもも組のランチタイムが始まる。出汁(だし)だけで煮たブロッコリーを手掴(づか)みで頬張る元気いっぱいの姿に圧倒される。思わず笑みが溢(あふ)れる。気づけば1年分の笑顔をこの数時間で発しているんじゃないかと思うくらい子供たちと一緒にケラケラ笑っている「なおみん」。

 実りの里保育園は姉妹園の実りの森保育園と合わせて220名の0歳から5歳までの園児を預かる認可保育園だ。Instagramで園の様子を配信しているのを見つけて、子供たちへの関わりが、かつて息子を預けていた奈良の「みのり保育園」に似ていたので、親近感が湧いて訪ねた。森の園長でもある岸本功也さんのお母様が今から43年前に創設された。保育実践家の斉藤公子さんの保育方針を受け継いだ当初から子供たちへの関わりは変わらない。

 新しく創設された森の方は功也さんいわく「土地の神様に選ばれた」という高台に2017年、念願の園舎を完成させた。里と同じく高窓はなく、ハイハイしていても外の風景が見える構造になっている。もちろん床は天然のヒノキで無塗装だ。

 学力重視の現代において子供たちの意欲をかき立てるのは、与えることではなく、むしろいろんなものを削った中から、子供たち自らがその手で欲しいものを掴み取る力を養うことから始まる。だから、この園には過剰な飾りがほとんどない。指示、命令、号令も皆無だ。子供たちが遊びきるまで見守るベテランの保育士さん。年長さんの描画を見ると、水平線が描かれたその地中にはモグラなどの生き物がいる。空には鳥が、そして雪が降り砂埃(ぼこり)が描かれてゆく。それは絵本の読み聞かせから彼らの中に芽生える想像力を発露させる表現だ。

 ヒトとして然(しか)るべき時期にしっかりと身につけておくべきことをやり遂げてから、次の段階へ進む。それぞれを比べることなく、その子のペースを守って道を拓(ひら)いてゆく。できなくて悔しくて。でも、やりたいという意欲が出ている時点で成長の8割は達成しているから。できなくたって彼らが自分を肯定して明日を迎えることが大切なのだ。

 毎日泥んこの服をたくさん洗うのは大変だ。親の負担にはなる。けれど、その日々の中で彼らの笑顔に勝る宝物はない。この命はきっと世界をキラキラと輝かせる力を秘めている。小さな人が何かに夢中になることの美しさ。この尊さを大人が邪魔をしてはいけないと悟る。早く歩けたけれど、しっかり歩けない子供にならないように。泥が口に入っても、自然に触れることで元気な体を育む。子供の生きる力を信じること。快・不快という自分の中から湧き上がる感覚を育てること。

 大きな家族のような実りの里・森の保育園に薄雲の間から今日の終わりの光が降り注ぎ子供たちを照らす。なんて美しく尊い時間だろう。農夫のように働き、哲学者のように考える。ルソーの言葉が心に沁(し)みて、かけがえのない一日がここにある。

 (映画作家)