<金口木舌>悲劇の序章


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 国際通りにあった沖縄山形屋が1999年8月に閉店して20年の年月が過ぎた。77年の歴史を歩んだ沖縄初の百貨店が那覇市の東町にあったことを知る世代は80代半ば以上か。那覇市役所も近隣にあった

▼明視堂という雑貨店を記憶する世代もそうであろう。同じ東町にあった寄留商人の店である。古い本紙に懐中電灯やキセルの絵を添えた広告が載っている。ヤマトの文化を運ぶ店だったのだろう
▼これらの店が並ぶ旧那覇の繁華街はけっこうモダンだったようだ。戦前のモノクロ写真から華やかな色彩を帯びた通りを想像する。それが一日で灰燼(かいじん)に帰した。75年前の10・10空襲である
▼この日、ジャーナリスト池宮城秀意は泊の高台に逃れ、火の海となった那覇の街を見下ろした。不意打ちの空襲にぼうぜんとしていた。後に著書「沖縄に生きて」で「またと見ることのできない眺めだった。これが戦争なのだ」と記した
▼辻の遊郭で生きた上原栄子は空襲警報のサイレンを聞き、井戸に逃げ込んだ。夕方、井戸からはい出し、驚きのあまり立ち尽くした。「辺りは見渡す限り焼野原、辻遊郭は影も形もなかったのです」と著書「辻の華」でつづった
▼10・10空襲は沖縄戦の前触れであった。モダンな街が消えたこの日、沖縄が戦場となることを多くの県民は恐怖とともに自覚した。悲劇の序章、語り伝えるべきことは多い。