<金口木舌>伝統芸能をいつの日か首里城で


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 取材で初めて鑑賞した組踊は「執心鐘入」だった。ストーリーは知っていたが、せりふ(唱え)の意味はあまり理解できなかった。それでも、唄三線と舞踊が繰り広げる独特の舞台に圧倒された

▼組踊は玉城朝薫が冊封使歓待のために創作し、1719年に初めて上演された。場所は首里城正殿前だった。琉球処分や沖縄戦など、存続の危機を乗り越え、今年、300年を迎えた
▼先人の功績をたたえ組踊を次の100年につなごうと、県内外でさまざまな記念事業が展開されている。発祥の地である首里城で300年を記念した公演が今晩、行われるはずだった
▼ウチナーンチュのアイデンティティーの象徴である首里城の焼失。戦争のない平和な世である限り、首里の高台から当たり前のように沖縄を見守っていると思っていた
▼首里城では地域の伝統芸能も披露されていた。八重瀬町の新城伝統芸能シーヤーマー保存会は、先人たちが1838年に首里城で踊った「シーヤーマー」を2010年の新春の宴で上演した。首里城での演舞は、今も地域の誇りになっている
▼棒術や獅子舞、ウスデークなど、沖縄にはさまざまな伝統芸能がある。時代に翻弄されながらも受け継がれてきた組踊のように、しっかりと次代に継承しなければならない。各地の演舞が、再建された首里城で披露される日が来ることを切に望む。